覚え書:「ストーリー:川口自主夜間中学30年」、『毎日新聞』2015年07月05日(日)付。

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ストーリー:川口自主夜間中学30年(その1) 「学び」「支え」諦めない
毎日新聞 2015年07月05日 東京朝刊

(写真キャプション)川口自主夜間中学の授業で、ボランティアから熱心に教わる女性(右)=埼玉県川口市で、竹内幹撮影


ストーリー:川口自主夜間中学30年(その2止) 義務教育、誰にでも
 梅雨雲の切れ間から日差しが注いだ午後、埼玉県川口市のJR川口駅前を行く人波にハンドマイクの声が響いていた。「夜間中学を知っていますか。貧しさや病気など、さまざまな理由で義務教育を終えることができなかった人がたくさんいます」。今年、設立30年を迎える「埼玉に夜間中学を作る会」代表、野川義秋さん(67)の日焼けした顔に汗がにじむ。仲間と月1回、駅頭で署名を集め、県や市に公立夜間中学の設置を訴えてきた。

 これまでに5万5000人分を超す署名を集めた。だが、首都圏の1都3県で、埼玉だけは今も公立の夜間中学がない。「遅々として進まない状況に焦りを感じることもある」と野川さんは言う。

 夜間中学(学級)は終戦間もない1947年、家が貧しく昼間は学校に通えない子供たちのための公立中学「夜間部」として設置された。

 文部科学省が今年5月に公表した実態調査結果によると、公立の夜間中学は8都府県25市区に31校あり、計1849人が通う。約8割の生徒が外国籍だ。

 一方、公立夜間中学がない地域を中心に、ボランティアらが運営する自主夜間中学は154市区町村に307校ある。生徒数は公立の4倍に当たる計7422人。しかし、公立と違って教科書の無償配布など公的支援はなく、中学卒業資格も得られない。

 野川さんらが川口市に「川口自主夜間中学」を開いたのは、「作る会」設立から3カ月遅れの85年12月だった。授業は火、金曜の週2回。駅近くの教室に国籍の異なる10−60代の男女40人が通っている。

 5月中旬、「自主夜間中学」代表の金子和夫さん(68)が23歳の女性から相談を受けていた。小学3年の時に不登校になって以来、学校へ通えず、割り算や掛け算が少ししか分からないという。「知らないことは恥ずかしいことじゃないよ。楽しく勉強しましょう」

 30年間で1000人を超す生徒が川口の「学舎」を巣立った。貧困、不登校、外国籍……。さまざまな事情を抱えながらも学びを求める人たちと、支える人々の姿を追った。
    −−「ストーリー:川口自主夜間中学30年(その1) 「学び」「支え」諦めない」、『毎日新聞』2015年07月05日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150705ddm001100079000c.html


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ストーリー:川口自主夜間中学30年(その2止) 義務教育、誰にでも
毎日新聞 2015年07月05日 東京朝刊

(写真キャプション)川口自主夜間中学で授業後、談笑する遠藤芳男さん(左)と権文頴さん=埼玉県川口市で、竹内幹撮影

ストーリー:川口自主夜間中学30年(その1) 「学び」「支え」諦めない
 <1面からつづく>

 ◆貧困、不登校、外国籍…乗り越え

 ◇作文が生きる力に

 蛍光灯に照らされた教室の入り口に小さな看板が掲げてある。「川口自主夜間中学 あなたが来るのを待っていました」。授業が始まる午後6時半前、埼玉県川口市の複合施設「キュポ・ラ」の中4階に、年齢も国籍もばらばらな男女が思い思いの服装でやってくる。教室を支えるスタッフは20人。その一人、定時制高校で長く教えた元国語教諭の遠藤芳男さん(65)には、気がかりなことがあった。教室に通っていた女性がぷっつりと姿を見せなくなったのだ。

 岩田まさ子さん(58)=仮名=は昨年2月、生活保護受給者を支援する相談員に伴われ、「字を習いたい」と教室を訪れた。担任を引き受けた遠藤さんが話を聞くと、小学校もほとんど通っていない。授業は「あいうえお」から始まった。

 ある日、遠藤さんは告げた。「宿題を出すよ」。うつむいてばかりだったまさ子さんが顔を上げた。「えっ、宿題?」「そうだよ、宿題だよ」「宿題?」。まさ子さんの瞳はうれしさで輝いていた。

 遠藤さんがノートを渡すと、次の週には何ページにもわたって、ひらがなで名前を書いてきた。その次の週は、漢字で名前と住所をびっしりと書いてきた。

 1カ月後、作文を書いてもらうことにした。「1日の出来事を書いてみて」

 まさ子さんの初めての作文だ。

 <朝 六時におきました。めざましはいりません。パーント(と)ヨーグルトとぎゅうにゅうが朝ごはんでした。ごはんのあとせんたくをしました。そのあと、うんど(う)をしました。五時かんあるきました>(4月15日)

 「日記を書くみたいに作文を書いて」。さらに宿題を出した。

 <きょうは 朝から じてんしゃで海まで走りました。ひとりだととてもふわ(あ)ん。じがよめないから、ど(っ)ちにいっていいかわからない。わたしもこの よのなかに いきていたのだからでもいきていくことが こんなにつらいと いままで おもってもみなかった。ねるのがすこしこわいけれど おやすみなさい またあしたがくるように>(5月17日)

 まさ子さんは、福島県境に近い茨城県の山あいで育った。10人きょうだいの長女。小学1年の時に親類に預けられ、川まで水をくみに行ったり、炊事や洗濯を手伝ったりの毎日で、学校に通わせてもらえなかった。その後、家族の元に戻ったものの、今度は幼い弟妹の世話を任されて結局、学校に行けなかったという。

 17歳で結婚して2人の子供を授かり、食料品店を営む夫を手伝った。だが、夫が暴力を振るい始め、逃げるように家を飛び出した。弟が住む川口に引っ越したのは10年前。3年前からは「弟に迷惑をかけたくない」と生活保護を受け、1人で暮らす。子供とは会っていない。

 夜間中学に通い始め、みるみるうちに表現が豊かになっていくまさ子さんの文章に触れ、遠藤さんは「字が書けることが生きるエネルギーになっている」と感じた。「小さい頃のことを書いてごらん」。新たな宿題を出すと、まさ子さんは少しためらいながらも書いてきた。

 <私の小さい時いつもお腹(なか)がすいていた。親にたたかれて育った。私はいつもビクビクしていた。私は自分のことは自分でなんでもやった。迷惑をかけたくなかった。本当は甘えたかった。なんで学校行(け)なかったのかなふしぎだな。これで一生終わりなのかな。でも今が一番幸せ>(10月7日)

 ところが、まさ子さんは昨年9月ごろから教室を休みがちになり、10月半ば、この作文を最後に来なくなった。

 夜間中学の先生らでつくる「全国夜間中学校研究会」の推計によると、学齢期に学校へ通えなかった義務教育未修了者は百数十万人に上る。一方、今年5月に国が公表した調査では、こうした人に学びの場を提供する公立の夜間中学は8都府県に31校しかない。

(写真キャプション)JR浦和駅周辺で署名の呼びかけを行う「埼玉に夜間中学を作る会」の野川義秋代表(左)=さいたま市浦和区で、内藤絵美撮影


 「埼玉に夜間中学を作る会」代表の野川義秋さん(67)が活動を始めるきっかけとなったのは、1985年2月に千葉県であった地元の夜間中学の支援集会だった。埼玉県内の高校教諭の知人に促されて飛び入りで登壇、「埼玉で公立夜間中学の設立運動を始める」と宣言した。

 野川さんは鹿児島県薩摩川内市の農家の出身。貧しかったという。家族で食べるだけの米が収穫できず、炭焼きと子牛の飼育が収入源だった。高校の授業料は出稼ぎに行った兄が負担してくれた。卒業して東京都の職員になり、下の弟が高校に通い出すと、今度は自分が毎月1万円を仕送りした。兄の責任を果たし終えた時、野川さんは22歳になっていた。

 「大学で学びたい」。そんな希望がふっと芽生え、仕事をしながら夜間の大学に通った。卒論のテーマは「夜間中学」。休日を使って東京、大阪、広島など全国の夜間中学を訪ね歩き、各地で生徒らの作文を目にした。過酷な境遇にありながらも学ぶ喜びがあふれ、「ガツンと殴られたような衝撃」を受けた。

 「宣言」から半年の準備期間を経て、野川さんは85年9月、仲間約20人と「作る会」を設立。約3カ月後、川口自主夜間中学をスタートさせた。教室は公民館の部屋を借り、支援の輪に加わった現役教師や会社員、主婦らが先生役を買って出た。

 発足当初、生徒は障害のために義務教育を「就学免除」された50代の女性、いじめで不登校になった中学生ら計6人だった。その後、時代を映すようにベトナム難民、国際結婚したフィリピン人女性、中国残留日本人孤児らが入れ代わり立ち代わり訪れた。

 この30年、歩んできた道は平たんではない。公的支援のない自主夜間中学では、先生は無償のボランティアだ。交通費も出ない。先生が減ると、生徒も自然と来なくなった。そうした中、野川さんはこれまでに数十回、埼玉県と川口市に公立夜間中学の設立を要望し、交渉を繰り返してきた。だが、県は「小中学校の設置主体は市町村」と突き放し、市は「義務教育未修了者は各市町村にいる。広域行政として県が主体になるべきだ」。たらい回しにされた。

 野川さんは行政への怒りをこらえてつぶやく。「30年間頑張ってきたとは言いたくない。それだけやりながら実現できなかったということだから」

 ◇「公立」設立、一筋の光明

義務教育未修了者のための法成立を目指す集いに参加し、出席者の発言に拍手をおくる「埼玉に夜間中学を作る会」の小松司事務局長(左)と川口自主夜間中学の金子和夫代表=東京都千代田区衆院第2議員会館で、小川昌宏撮影
義務教育未修了者のための法成立を目指す集いに参加し、出席者の発言に拍手をおくる「埼玉に夜間中学を作る会」の小松司事務局長(左)と川口自主夜間中学の金子和夫代表=東京都千代田区衆院第2議員会館で、小川昌宏撮影
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 活動に力を与えたのは新たな仲間だった。「作る会」事務局長の小松司さん(70)は10年前から、妻愛子さん(72)とともに署名活動や広報誌の作製など裏方を務めている。子供が幼かった頃、夫妻は同じ病院の事務職員として働き、帰りはいつも遅かった。小学生の長男は2人の弟の面倒をよくみてくれていたが、5年生の時に突然、学校へ行かなくなった。「負担をかけすぎたのか」。夫妻はショックを受けた。

 学校に頼み込んで何とか小学校は卒業させてもらった。しかし中学校は一日も通わず除籍になった。夜間中学の存在を知った愛子さんの提案で、東京都内の公立夜間中学に通い出した長男は、校内行事に積極的に参加するようになり、生徒会長も務めた。3年間、自転車で片道1時間かかる道のりを通い続けた。

 都内の高校に進むと、「医学部を目指す」と両親に言った。6浪してもあきらめず、長男は33歳で医者になる夢をかなえた。夫妻は「私たちは夜間中学に出合い、救われた」と言う。43歳になった長男もきっと、同じ思いのはずだ。

 また、鳩ケ谷(現川口)市教委の職員だった金子和夫さん(68)が、初めて川口自主夜間中学を訪れたのは生徒が激減した20年ほど前だ。調査のため教室に足を運ぶと、20代半ばの青年がぽつんと一人でいた。植木職人と言い、「小中学校を出てないから、みんなにバカにされた。見返したいから勉強を教えてほしい」と訴えた。心を動かされた。金子さんの呼びかけで再びスタッフが集まり始め、生徒も増えていった。数年後、金子さんは夜間中学の代表に就いた。

 現在、川口自主夜間中学に通う生徒は40人。約7割が外国人で、その過半数中国籍が占めている。

 中国東北部ハルビン市出身の権文穎(けんぶんえい)さん(29)は5年前、母国の大学を中退し、母が働く日本に来た。「日本で保育士の国家資格を得たい」と夜間中学へ。保育士試験は児童家庭福祉など8科目があり、2年かけて6科目に合格した。残る2科目に合格すれば、10月に最後の実技試験を迎える。

 権さんは川口で学びながら、スタッフの一人として中国人の生徒に易しい日本語を教えている。「雨」と「飴(あめ)」など同音異義語を中国語で説明できるため「分かりやすい」と好評だ。「日本に来て、中国では聞いたこともなかった『無償のボランティア』に感動しました。私もその精神を受け継いで教えられていることがうれしい」。保育士試験も「何度か挫折しかけましたが、先生たちに励まされ、頑張れた」と言う。だから、夜間中学に恩返ししたいと考えている。

 川口自主夜間中学には、学校になじめないなどの理由で勉強が遅れがちな子供たちもたくさん通ってきた。日系ペルー人の母を持ち、自身は日本国籍の高校2年、高橋幸恵さん(16)は中学時代に転校先でいじめに遭った。教室に入れず、登校しても保健室で過ごした。高校受験を控えた2年前、担任の勧めで訪れた。

 「夜間中学の先生は優しい。丁寧に分からないことを教えてくれる」。高橋さんは夜間中学が大好きだ。文化が違う外国籍の生徒と交流し、さまざまな生き方も学べる。「自分を否定しなくていい」ことを知った。今は社会福祉士になるための勉強をしながら、中国語を学ぶ。夜間中学に多い中国籍の子供たちと中国語で話したいからだ。

 東京都夜間中学校研究会によると、昨年までの40年間、埼玉県から都内の公立夜間中学に通った生徒は延べ1000人以上。公立なら中学卒業資格を得られるが、埼玉から都内への通学は1−2時間かかるうえ、交通費の負担も大きい。こうした実情を、野川さんらが何十年も訴え続けながら動かなかった行政だが、ここに来て光明が見え始めた。

(写真キャプション)視察後、川口自主夜間中学で行われた「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」の国会議員らとの懇談会=埼玉県川口市で、竹内幹撮影


 夜間中学の関係者が「公立」の必要性を国会議員に訴え続けた結果、昨年4月に超党派の「夜間中学等義務教育拡充議員連盟」(会長・馳浩衆院議員)が発足した。「作る会」は川口自主夜間中学の視察を働きかけ、今年6月9日、初めて衆参の国会議員13人が訪れた。「生徒たちの話を聞いてください。彼らが生き証人です」。野川さんは万感の思いを込めて訴えた。議連は義務教育未修了者らの学ぶ機会の確保を自治体に義務づける法案をまとめ、今国会中の成立を目指している。

 もう一つ、教室にうれしいことがあった。昨年10月から姿を見せなくなった、まさ子さんが戻ってきたのだ。

 今年5月末、遠藤さんが思い切って手紙を出すと、しばらくして「初めて書いた」というまさ子さんの手紙が届いた。「私は元気です」。しっかりした文字で書かれていた。夜間中学に通えなくなったのは持病のぜんそくや糖尿病に加え、両手の神経痛が悪化したことが理由だった。自転車に乗るのは怖く、バス通学は負担だった。だが、遠藤さんの手紙に励まされ、まさ子さんは痛み止めの注射を打って戻ってきた。

 「生きるために、文字の勉強は大事だね」。教室を休んでいる間も、ノートやチラシの裏などに、メモや日記をつけていた。「(公立の)夜間中学ができたら、通いたいね」

 40年近く教員をしてきた遠藤さんは思う。「こんなにひたむきに字を学びたい生徒がいることを知らなかった。それを教えてくれたまさ子さんは私の先生です」

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 ◆今回のストーリーの取材は

 ◇鴇沢哲雄(ときざわ・てつお)(川口通信部)

 1975年入社。95年、総合ニュースサイト「Jam Jam」創設に携わり編集長。サイバー編集部長などを経て、2008年から現職。埼玉版連載企画「学び出会い喜び 川口自主夜間中学の25年」「ニイハオ 川口の中国人」などを担当。

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