Mervyn Peake (1911 - 1968) マーヴィン・ピーク


種村がアリスの挿絵でテニエル以外で注目していたのがアーサー・ラッカムとこのピーク。
でピークがイイナと思い、ちょっとWebで調べた。


動物たちのデフォルメや線描写がイイ

http://www.mervynpeake.org/illustrator.html←写真すべて(オフィシャルサイト)
英国の画家、イラストレーター、詩人、作家
1940年代に<スナーク狩り>The Hunting of the Snark、<不思議の国のアリス>、鏡の国のアリスの他、コーリッジの<老水夫行>やグリム兄弟、スティーヴンソン<宝島>、<ジギルとハイド>等のイラストを制作。
また自作の童話やナンセンス詩、<Rhymes Without Reason>、<Captain Slaughterboard>等の挿絵も
50年代後半、パーキンソン病発病
ゴーメンガースト』The Gormenghast Novels三部作がある>むしろこちらの方が有名らしい(知らなかった
http://en.wikipedia.org/wiki/Mervyn_Peake参考)

ゴーメンガースト』↓
東京創元社http://www.tsogen.co.jp/np/kensaku_kekka.do
この映画もあるらしい
ゴーメンガースト』の映画

指輪物語』と並び称されるファンタジイの金字塔、マーヴィン・ピークの《ゴーメンガースト三部作》。スティング、リドリー・スコットテリー・ギリアムが夢みたが果たせず、その壮大さゆえに不可能と言われた映像化が、1999年、BBCによって実現した。
 傑作の噂のみ高かったこのドラマが、ついに2002年9月にビデオ・DVDがリリースされる。
 広大なゴーメンガースト城をセットで再現、出演者もピークが挿絵に描いた姿そのままで、驚くばかりに見事。どこを取っても映画に匹敵するほどの出来映えと言えるだろう。すでに読んだ人はその映像に驚き、まだ読んでいない人は原作が読みたくてたまらなくなる、至福の4時間05分。乞う御期待!
http://www.tsogen.co.jp/wadai/0207_03.html

らしいが、なんか怖そう
やっぱナンセンス詩の方が面白そう

萩原恭次郎<死刑宣告>②

既出
今日読み返していて、萩原恭次郎の詩でおやと思ったのがこれ

夏の日の恋

器械体操する少女のお尻と 教会堂の屋根が輝く

聖書を読み上げる父親

台所で豚のやうに働いている叱られてゐる母親

しなびた大根と説教

ー禁制の建て札

ーいつか逢曳のうちに

ー娘の指からはぬかれた


男の腕に寄りかかつた娘の胸と腹に

素的に怖ろしい ゴッホのやうな向日葵が咲く


器械体操する少女のお尻と教会堂の屋根が輝く

天なる神よ!

 繙(ひもと)けば、マヴォの仲間の岡田龍夫の実験的タイポグラフィーや恭次郎の詩の中の言葉、例えば、群衆、工場、煤煙、ピストル、眼球、墓場、借金、血、首、自殺等の言葉がやたらと頻出し当時の彼の内面の鬱勃としたアドレッサンスと時代(社会)の緊張関係が伺えて、それはそれで面白いし、また当時の既成詩・文壇の言語に対する意識より遙かに進んでいて、たぶん昭和の<詩と詩論>辺りまで待たなければならない程の言語破壊の姿勢・精神が充ち満ちていて、今なお十分読むに耐えるものがあると思う。
 確かにそうなのだが、このほかに、同詩集の中で、こんな色ぽい、しかも明るい詩もあることを忘れまい。
これも当時の世相と彼自身のアドレッサンスとの奇妙な幸福な蜜月だったのか?
惜しむらくは、後年確かナショナリスト*1になったと記憶しているが・・・と言うより、後の詩が情けない・・・
http://www.ocv.ne.jp/~kameda/poem.html,参考

*1:1937 5月、西東書林発行の『現代日本詩人論』に「萩原朔太郎論」を収載。年末あたりより健康すぐれず。なお思想的に新しい面を漸く展き、民族的自覚を明確にす。http://www.ocv.ne.jp/~kameda/hagiwara-chronicle.html より

猫のエロス?(深読み)

peeeさんの右側の猫の写真(以下ネタにしてスイマセン、他意はありません、可愛いなということで)→http://peee.boo.jp/blog/
なんか、猫に発情(猫がではなく、猫に)しそう
妙に顔が、鼻から少し下の辺りが艶めかしくて>性別聞かんとこ 笑

ところで猫と言えばこの小品傑作(あっという間に読めますが・・・)が気になっている

<愛撫>
梶井基次郎
「詩・現実」1930(昭和5)年6月
http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/411_19633.html
是非一読のうえで・・・

筋はこんのものでしょうか

①猫の耳というと、一度「切符切り」でパチンとやってみたくて堪(たま)らない残酷な空想
②またネコの爪を全部切ってやればどうなるかという空想
③そして夢でネコの手を化粧道具にした女の話
④ネコを両手で上げながら
柔らかいその蹠(あしのうら)を、一つずつ私の眼蓋(まぶた)にあてがわせ 
⑤最後にオチで

仔(こ)猫よ! 後生だから、しばらく踏み外(はず)さないでいろよ。お前はすぐ爪を立てるのだから。

●愛撫というタイトルとその内容のアンバランス

 ③で白粉の匂いがするところからその夢の女のエロティシズムを感じないわけではないので、あながちタイトルのエロティシズムを裏切っているわけではない。しかしそれはあくまでも空想以上に非現実的な夢のことであり、そかはかとない残り香のような薄い印象がの残るのみだから。>但し人に対し
 いや、これってのは、最後に現実の私(作者)が登場する④、⑤で見事に想像や夢を裏切り、そして愛撫を求める読者(ぼく)に手ひどいしっぺ返しを喰らわせる。なんともユーモラスな作品である。
 笑いたくなるが、よく考えてみると、
それは、④の猫の蹠で私が目蓋をあてがわせて、猫を愛撫するんではなく、自分を愛撫させている。そして恍惚となっている。>エロティシズム(オナニズム)
が、⑤の現実感が脳裏をよぎり、エクスタシーは中断される。
 このズレがおかしみを誘うのだろうか?だが、尻餅ついて苦笑いばかりしていられない。
 というのは、どこにも書かれていないのだが、蹠を目蓋にあてがう前に<私>は猫をおもちゃにするほど愛撫していたではないかなという疑いが生まれるから>猫に対するエロス
 そうだとすると、これは、何も書かないことで、梶井はもう一つの罠・想像力をぼくたち読者に仕掛けていたということではないか?