知れば知るほど…

 私がこの日記を始めたのは四月の半ばでしたが、まさか自分でこういうことを始めてみようとは思いませんでした。普通の日記でさえ長続きしない私ですから。ただ、ひと様のところに行って読ませていただくことは続いてきていましたし、今年に入ってちょっと積極的にコメントなどを書き込ませていただくようにはなっておりましたから、その流れでたまたまはじめてみたというところです。


 さてその書き込みを積極的にしていた頃の私が書いたコメントに次のようなものがありました。

2005-03-06 09:59:35

○○さん

 確かに反日嫌韓の態度には通じるものも感じます。双方とも罠にはまっているようなもので、正常な議論を成り立たなくさせる要因だと私も思います。表に現れる態度としてはそうなのですが、反日があるから嫌韓嫌韓があるから反日と相対化してしまえるような対照的位置に両者があるとはちょっと思えません。


 無知なるがゆえの反日知るにつれての嫌韓 そういう面があるのではと思うのです。


 2、3年前を中心として私もいくつかの掲示板等で日韓問題についての議論に参加させていただいておりました。そこへわりにニュートラルに入って来た方々の一定数は、いつも目の前で嫌韓的になっていかれました。そのきっかけは先に議論していた方々から示される情報・資料などだったと私は思います。
 時には本国人が参加していただけることもありましたし、在日の人もおられましたので、議論をしたい側から言えば急に嫌韓になって態度を硬化させた人が増えることはまずいことでした。拒絶したってそこで得られるものはたいして無いという立場でしたから「ミイラ取りがミイラになるのはやめてね」と抑える側に回ることもしばしばでした。
 もちろん偏った情報で毒気に当てられたと考えることもできましょうが、私の感触としては極端な嫌韓感情が込められた情報などは皆割り引いてしか受け取っていなかったと思います。むしろ至極まっとうな歴史的経緯の情報(例えば鄭大均氏の『強制連行の神話』などにまとめられたぐらいのもの)や公開されている韓国マスコミの記事など、単に今まで知らなかったものを知っただけで嫌韓になるという具合だったと感じました。
 これに対して(サンプルは多くありませんが)本国人などは、大義名分ありきで具体的な資料に欠けるという印象があります。まず感情があったと思えるのです。ですから先の言葉を言い換えますと、


 まず感情が先にあっての反日、情報・知識に触れて感情が生まれた嫌韓 ではなかったかと…


 最後に高麗大名誉教授の韓昇助氏(75)のインタビューからです。


『最近、真相究明などと言いながら親日行為をした人たちを反民族行為だと責めたてているが、それは当時の状況に対する無知から出てきたものだ。』
http://japanese.joins.com/html/2005/0304/20050304205539400.html


 なにも日本の代弁者が欲しいとは申しません。たとえ解釈に差異がでようとも、知識・情報の共有ができてこそ相互理解の可能性はでてくるのではないかと思います。
 この方が韓国輿論につぶされないか心配です。

 これはその後突然にお書きになるのを中断された某ブログでのコメントで、私のハンドルも微妙に違えております(uumin3の方が昔からですが)。(今年になってから開設されたそのブログですが、相当の人を集めていたと思います。とても中断が惜しく思われます。でもそれがあって、自分で始めようと思ったところもあるのです)


 ここからは、私がある種の電磁波の影響を受けていると思っていただいて結構です(笑)
 私には、『マンガ嫌韓流』のキャッチとして使われていた「知れば知るほど嫌いになる国…」というフレーズが、このコメントの言葉の流れで出てきたように思われるのです。まあ「妄想」の類でしょうし、跡付けることもできません。もちろんオリジナルを主張するほどのことではありませんし、なによりそれほど似ていないかもしれません(致命的?)。ただ一つの言葉の源流の一つになっていたとしたら、それはとても面白いことだと(個人的に)思うだけです。それなりに考えた末での発言でしたし…


 韓国の話題については、また書くべきことが出てくるまでひとまず手仕舞いにいたしたいと思います。

台風・ハリケーンへの対応

 台風14号の残した物的被害はかなりのものがあるようです。ただ人的被害が二十数名に留まったのは(被害者の方にはご冥福をお祈りします)台風の大きさから考えても不幸中の何とやら。走り回った人たちのおかげですが、災害の打たれ強さを実感します。
 一方カトリーナの被害は、不幸な偶然や人災の面も重なって未だに収束してゆく方向がよく見えないようです。この「米ハリケーン被害 写真特集」を見ても、日常とはあまりに離れすぎていてなかなか実感になってこないくらいです。


 昨日、一昨日あたりのニュースから、この退去命令のトピックが目につくようになったと思います。
 ニューオーリンズ残留市民、大半が退去の見通し

(前略)
ルイジアナ州兵が当局の推計として語ったところによると、市内にとどまっている住民は1万−1万5000人。当局者らによれば、多くの住民が脱水症状に陥り、食料も底を尽きかけている。民家に放置された遺体は腐敗が進行し、異臭を放つ。警察が「強制的な手段」を行使するまでもなく、大半の住民は説得に応じるとの見方が有力だ。
市内に住むカレン・ジョンソンさんは、体の不自由な両親の世話をするため、浸水した自宅にとどまっている。しかし「警官が銃を構えてここへやって来たら、逆らうつもりはない」と話す。


ただ、コンパス警察本部長は住民の退去を進めるに当たり、銃撃などの「力の行使」は最小限にとどめる方針を示している。市長命令により、避難を拒否する者には罰金や禁固刑を科すこともできるが、「市民を安全な場所へ移すのが目的。思いやりの気持ちを持って進めたい」と、コンパス氏は強調する。
同氏はCNNとのインタビューで、汚染された水や清掃作業に使う薬品の危険性を説明。「ここにとどまるのは自殺行為だ。住民ひとりひとりに会って話せば、きっと分かってもらえるはず」と語った。


だが、中には抵抗を続ける住民もいることは確かだ。オースティン・オドワイヤーさんもその1人。だれの助けも借りず、自宅で被災後の10日間を過ごしてきた。有害物質や細菌にも恐怖を感じないという。「われわれを追い出しに来る兵士が大丈夫なら、私も病気にはかからない。やつらがやって来たら発砲する。覚悟しておけ」と、強硬な態度を貫いている。

 当局の意思ははっきりしているようですが、やはり急に強硬な手段で退去させる雰囲気はなさそうです。
 (この被災や退去に関してはセカンド・カップはてな店でSoredaさんがお書きになっているところがとても参考になります。あえて私などが書くこともあまりないのですが、少しだけ…)


 日本人は災害に慣れているとか、日本人はお上の言うことに従うように慣らされているとか、集団行動を素直に選ぶ性向があるとか…すべてある程度説得的(もっともらしい)とは思いますが、正直なところ直観の域を出るものではないと思います。
 特に「日本人は集団主義的」という耳慣れたモデルに関して、この淵源はR・ベネディクトの『菊と刀』(1946)およびJ・エンブリーの『須恵村』(1939)にあるようですが、これが立論の基底になってしまっていて検証の対象になっていない研究がほとんどと言ってよいのではないでしょうか。ライシャワー博士の『ザ・ジャパニーズ』やヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』も、まさにこの日本人の集団主義という前提から書かれているように思われます。


 いくつかの点で日本人を集団主義と見る観点には違和感を感じます。まず日本の集団が家族主義的であるという捉え方には、それこそ他国に比べて特筆すべき特徴としてそこにあるのかと問いたくなります。私が属したことのあるいくつかの小集団で、それを特に実感したという感想はありませんし、またそれなりにアット・ホーム(英語!)な集団もありましたが、それらは私が小さい時に一種理想として見ていた「アメリカのドラマ」に出てくる暖かくて面白いグループに比べても、特に家族主義的だと思えません。また愛社精神云々ということも一時期喧伝されましたが、それとて日本企業の大多数が持っていたかというと実は検証もされていないことなのです。コンセンサス・モデルというものが説得力を持つ場合もありますが、それならばなぜ「話し合いで何事も決める」というのが「民主主義」のキャッチコピーとして考えられ、戦後日本が獲得したものだと語られたりするのか…。また集団主義という割には、いくらでも集団内に争いや競合、確執があるように見えるのはなぜでしょう。ここから純化して集団主義というものを導けるようにも思えませんが…疑念を抱けばいくらでも怪しいところは見えてきます。
 もともとベネディクトにせよヴォーゲルにせよ「他者」としての日本に対峙して、自分たちの言葉で集団主義的という解釈をそこに与えただけです。内部的理解がそれより優るということを言うつもりもありませんが、それを疑いもなく前提とするのはあまりに不用意でしょう。実際このモデルを陰に陽に使っている日本人自身の研究もかなりあるのですが、理念型の採用として適当であったかどうか…


 作られたイメージがその当人に影響して実体化して見えるような例は人文系ではたびたび見かけるものです。有名な例では血液型性格判断などですね(あれを学問と言ってよいかわかりませんが)。O型はこうだ、あなたはO型だと言われた人は、そのモデルのO型の性格に自分をあてはめていく傾向があったりとか…それと似たところが、集団主義的と言われた日本人にもあったのではないでしょうか?


 いずれにせよ、災害時の対応における日米の差は明らかなようでもありますから、違いがあるとしてどこにそれを求めるべきかは慎重に考えていかねばならないでしょう。早くアメリカでの避難と事態の収拾に無事決着がつくように願っています。