閑話休題2 ニュース二題

 ムハンマド風刺画掲載のデンマーク紙、3年前キリスト風刺画掲載を拒否

コペンハーゲン 8日 ロイター]
 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を最初に掲載したデンマークの新聞ユランズ・ポステンが、3年前、攻撃的過ぎるとしてキリストの風刺画の掲載を拒否していたことが分かった。漫画の作者がロイターに明らかにした。


 同紙の編集者は、この風刺画は勝手に送り付けられたものだったとしたうえで、西側諸国が主張している表現の自由に挑戦する形でイランが掲載すると表明したホロコーストユダヤ人虐殺)の風刺画も掲載したいとの考えを示した。


 同編集者は、ムハンマドの風刺画掲載によりイスラム教徒の心情を傷つけたことを謝罪する一方、表現の自由を主張し、掲載の権利はあるとしていた。


 キリストの風刺画の作者は、ロイターに送った電子メールで「私が漫画を見せたキリスト教徒は誰も傷つくことはなかったが、編集者は、キリスト教徒に限らず読者全般に対してこの漫画は攻撃的だとして掲載を拒否した」と述べた。
 これに対して、掲載を拒否した当時の編集者は、漫画が優れていなかったから掲載しなかった、としている。

 ちょっとスキャンダラスな報道です。掘り起こして煽るニュースの類とは思われますが、この記事が世界に与える印象は無視できないものかもしれません。
 ただここで考えねばならないのは「表現の自由」の意義です。掲載不可の理由について作者、編集者の何れの言い分が正しいとしても、「表現の自由」という原則のみならばこれは許容されます。


 つまりユランズ・ポステン紙がどのように偏向していても、偏見や悪意があったとしても、「表現の自由」という観点からは「キリストの諷刺画を載せずムハンマドの諷刺画を載せる」という行為は、編集権の枠内であり咎めだてされるものではありません。


 何か「表現の自由」(もしくは「報道の自由」)と聞くと崇高なものとイメージされるのですが、それ自体はとても単純な原則に過ぎません。そこで考慮されているのは、表現が(たとえば権力者に)恣意的・意図的に制限されてしまう惧れなのであり、それを免れるためにとにかく制限は駄目としているだけなのです。


 もう一つのニュースです。
 UAEの大学で米女性教授、風刺漫画コピー配り解雇

 アラブ首長国連邦(UAE)の女子大でイスラム預言者ムハンマドの風刺漫画のコピーを学生に配った米国人の女性教授が9日までに解雇された。


 ロイター通信によると、解雇されたのはドバイのザイド大学で英語を教えていたクローディア・キブルツさん。デンマーク紙が掲載した風刺漫画について議論するため、コピーを学生に配布したところ、学長を務めるナハヤン教育相の指示で数日前に解雇された。


 地元紙によると、教育相は「イスラムへのいかなる侮辱も許されない」としている。(共同)
 ZAKZAK 2006/02/09

 解雇の当否や、彼女の解雇がUAEの法律で守られないものか否かはここではわかりません。ただ、彼女が「学問のための行為だった」と主張しても、それが通らないのは在住の彼女にも容易に想像できたのではないでしょうか?
アラブ首長国連邦(UAE)(Wiki)

…一般国民には国政に関する選挙権が無いのが特徴であったが、2005年12月1日、連邦国民評議会の定数の半数に対する国民の参政権が認められた。しかし、その参政権の幅は極めて限定的なもので、有権者は各首長が選出した計2千人程度に留まる見通しである。政党は禁止されている。

 一般国民の参政権が限定的にも認められたのが去年の12月です。建国34年にしてこうなのですから、彼の国の法律はイスラム法の体系になっているのかもしれません。


 それでもキブルツ氏があえてコピーを配布したのは、何か啓蒙してやろうと思ったのではないかと、そう思えるのです。やはりある種の原理主義うしのぶつかり合いの様相を呈してますね。

[宗教」 ムハンマド風刺画について3(社会主義)

 イスラム世界がその帰依者の数を今なお減らさず、西洋近代的価値とも一線を引いた価値観を維持する人々が多いのには、彼らの多数が必ずしも裕福ではないということ以外に理由があるのではないでしょうか。たとえば「言論・表現の自由」など、その価値を受け容れる私たちにとっては誰でも享受してしかるべきものと思えるものよりも、何か彼らを引きつけるインセンティブがあるのではと思えてなりません。


 あくまで思いつきのレベルではありますが、彼らが「自由」よりも価値を見出しているものの一つには「平等」というものがあるのではないかとも考えます。その平等とはたとえば政治的機会の平等などではなく(ムスリムには女性の投票権を重視しない人も多くいます)、人間としての存在の平等、つまり金銭的価値の所有の多寡によって上とか下などと値踏みされずに生きることを可能にする生き方ではないかとも考えてみたり…。
 イスラムがある種の社会主義共同体主義)として受け取られているのかもしれないということを少々記してみたいと思います。


 宗教に社会主義とは…と思われるかもしれませんが、イスラム社会主義的要素を持った宗教共同体を形成すると考えるのは無理なことではありません。もちろんここでの社会主義とはマルクスなどによる狭義の社会主義…生産手段が少数者の私有ではなく社会全体の所有であるような社会体制…ではなく、個人の社会(共同体)との結合が緊密であり、社会的操作によって平等を目指すといった広義の社会主義ソーシャリズム)ですが。

 …『コーラン』の社会政策は、貧乏人にはすこぶる都合がいいが、金持ちにはひどく具合の悪いものである。今の言葉で言うと、明らかに社会主義的である。もしこの宗団に支配権を握られたら、クライシュ族は完全に破滅。しかも現世ばかりか来世でも「束の間のこの世の楽しみにうつつをぬかした」罰として地獄の劫火は免れないと言う。
井筒俊彦コーラン(下)』岩波文庫、解説)

 確かにイスラム諸社会の中に今でも貧富の差みたいなものがあるのは事実です。しかしそれは、イスラムの社会の外から私たちがみるものと同じに受け取られているとは限りません。貧乏だから、不遇だから金持ちや幸運な者にルサンチマンを抱く、というのと違う世界が見えているのかもしれないのです。もちろん世界はつながっておりますので、ムスリムにも近代的価値観を持つ人だっているでしょうし、暴徒となる貧困層の人には鬱屈した気持ちが溜まっているのかもしれません。
 ですが、そういった彼らの社会的矛盾に対して、その内部から起こる矛盾解消のためのスローガンは常に「イスラムの原点への回帰」なのです。その本来のイスラムというものに、彼らが大きな理想を見ているのは確かなことではないかと思われます。

 イスラームという語の最も基本的な意味は、無条件的な自己委託、自分を相手に引き渡してしまうこと。自我の意志・意欲に由来する一切の積極的な心の動きを抑え、自分を完全に放棄して、すべて相手の意のままに任せきることである。勿論、宗教的コンテクストにおいては、自分をこのようにゆだねる相手は神である。

 かつてシュライエルマッヘル(Schleiermacher)は宗教学におけるその古典的著書の中で、宗教の根源的基盤をAbhangigkeitsgefuhl「依属感情」として規定した。

 世界の諸宗教の中で特にセム系の人格的一神教―具体的にはユダヤ教キリスト教イスラーム―の宗教性には、「依属感情」という概念はそのままぴったり当てはまる。
井筒俊彦イスラーム生誕』中公文庫)

 唯一の絶対者である神の前では被造物である人間は奴隷(アブド)です。しかし神の前に卑屈になったとて、それによりこの地上にはいかなる「主」もいないということになります。普通の人間は、富や権力をいかに有していたとしても「主」の名に値するものではないと解釈されるからです。
 主の前に僕となるというこの実存的な宗教的決断が「物化」(reification)した時、それがシステムとしての宗教共同体(ウンマ)の平等性を生むのです。


 もともとアラブの社会構成は部族中心主義でした。それは「血」による紐帯で社会(共同体)的統一を確保するものです。しかしムハンマドが建てたこの宗教共同体は、統一の原理を信仰の共有に移し変えます。真摯な信仰さえ抱いていれば、部族や血統に拘わりなくこの共同体の正規の成員となれるのです。
 これによってイスラム共同体は、部族間の抗争を乗り越えたアラブの統一を果たし、さらには世界宗教・普遍的宗教と呼ばれるものへと飛躍する思想的基盤を得たのだと考えられます。

97[102] 汝ら、信仰ある者どもよ、アッラーを、神にふさわしい畏敬の念をもって畏れ奉れ。どのようなことがあろうとも必ず、死ぬ時には立派な帰依者(イスラーム)として死ねよ。


98[103] 汝ら、みんな一緒にアッラーの結びの綱にしっかりと縋りつき、ちりぢりになるではないぞ。そして汝らにたいするアッラーの恩寵をよく心に銘じておくのだぞ。アッラーは、初め汝らが互いに敵だったころ、汝らの心を結び合わせて下さり、汝らそのお情けのおかげで兄弟になれたのではないか。
コーラン第三章 イムラーン一家)


 私個人はイスラム社会に理想を見ているわけではありません。ただムスリムの多くの方々が、そこにある何かに惹き付けられているのは確かなことに思われ、その何かの一つに上記のような「平等」があるのかもしれないと考えてみました。
 ただ、こうした共同体(それは国を超えたものでもあるわけですが)には大きな弱点も感じます。それは、共同体の外に対して必ずしも協調的にはなれないという性格です。
 こうした共同体の内部では

88[86] 誰かに丁寧に挨拶されたら、それよりもっと丁寧に挨拶し返すか、さもなくば、せめて同じ程の挨拶を返せ。アッラーは一切を正確に勘定し給う。
コーラン第四章 女)


 あなた方が自分自身を愛するように、兄弟や隣人を愛するようにならない限り、まことの信仰を持つとはいえない。
ハディース「サヒーフ・ムスリム」)

 というような礼節・寛容・隣人愛が奨励されるのですが、一旦その共同体の外と対する時には、

112[116] だが信仰なき者どもは、いくら金があっても子供があっても、アッラー(の御怒りを防ぐ)なんのたしにもなりはしない。そういう者どもは地獄の劫火の住人となって、永久にその中で暮すことになるだけのこと。


114[118] これ、信徒たち、決してよその連中と親しくしてはならぬぞ。彼らは汝らを破滅させるためならどんなことでもいとわぬ者ども。ひたすら汝らがひどい目に遭うようにとばかり願っておる。


196 お前(マホメット)、信仰なき者どもが国中を大きな顔して動きまわっているのを見て思い違いしてはいけない。[197]あれはほんの束の間の楽しみのみ。いずれ落ち行く先はジャハンナム(ゲヘナ)、それはまたいともおぞましい寝床となろう。
コーラン第三章 イムラーン一家)

 などという記述も『コーラン』にあります。これは必ずしも『コーラン』が対外的に好戦的ということだけを意味するものではありませんが、戦いの中でムハンマドが啓示を書き記したとき、このような表現が散見されるのも仕方のないことでしょう。


 その高い宗教性ゆえに内部的に善き共同体が作られたとしても、それは同時に外部(信仰のない者)に対する疎外として働きかねないものです。こうした共同体が真に地上に理想の社会を構築するためには「世界イスラム同時革命」ぐらいのものを起こして、皆ムスリムにしてしまうぐらいのことがなければいけないということなのかもしれません。そしてもちろんそれは、外部の私たちにとっては決して望ましいものではないのですが…。

追記

 eireneさんダイアリーで紹介されていました。

 http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/lecture3.html


 イスラームでは国民国家というのを認めません。イスラームにはダール・ル・イスラームしかないのです。「イスラームの家」がある。これはイスラーム法が適用されるところです。イスラーム法というのは、少なくともイスラーム教徒は普遍的な法だと考えていますので、どの時代どの民族にもかかわりなく、すべてに通用するものと考えています。その法が通用する土地がダール・ル・イスラームなのです。


 そこには国民国家という考えが入ってくる余地はありません。国民というか民族というものが独自の実態をもっていて、独自の文化をもっていて、民族自決権をもっているという考え方はありませんので、独自の法をたてるという考え方はないのです。すべての人間は平等である。イスラームではそういうふうに考えますので、人類はすべて平等なわけです。神も普遍的な宇宙の神ですから、それに従う。それがイスラームの考えで唯一の人間の秩序のあり方で、それは地球に一つしかないわけです。一つだけのイスラームの家というのがある。

・・・

しかし、イスラーム世界はもともと一つであって、ダール・ル・イスラームは一つであって、イスラームは一つであって、イスラーム教徒は一つであるという認識が非常に強いもので、イスラーム世界のあるところで起きている運動が別のところに飛び火をするのは当たり前のことです。イスラームのネットワークは世界中に広まっていますので、そのなかのどこかで、われわれからみると地域の紛争にすぎないようなものが世界中に飛び火するということはイスラームの世界観からいって当然あり得る。ですから直接かかわりのない地域についても正義を実現しないと世界全体に影響を及ぼすようなことにもなりかえないということは、今いったイスラームの世界観のなかから理解していただけたのではないかと思います。

 イスラム研究の方のご発言です。やはりイスラムの信仰者としての紐帯が、国民や民族より強い(という解釈がなされている)との視点があります。


 これはやはり、信者としての平等を維持するためには国民として(あるいは民族として)の立場は下位に回さなければならないということを示していると思われます。

閑話休題 ムハンマドの図像はないわけではなくて

 今回の騒動の問題は、やはり信仰の外にいるもの(異教徒)が尊敬の念なくムハンマドを戯画化したということに尽きるでしょう。その意味では理解できないものではありません。


 メトロポリタン美術館のサイトで"Works of Art"の中にMuhammadを検索

Results for Muhammad in Works of Art:  115 

Summary:
85 Timeline of Art History  
21 Features  
 9 Permanent Collection  

 ここからムハンマドの図像(写真)を探すと
The Night Journey of Muhammad on His Steed, Buraq; Leaf from a copy of the Bustan of Sacdi, dated 1514
Painter: Unknown; Calligrapher: Sultan Muhammad Nur
Bukhara, Uzbekistan
Colors, ink, and gold on paper; 7.5 x 5 in. (19 x 12.7 cm)
Purchase, Louis V. Bell Fund and The Vincent Astor Foundation Gift, 1974 (1974.294.2)
 これがあります。有名なムハンマドの夜の(夢の)旅がモチーフです。


 Bibliotheque Nationale de Franceのサイトからも、探しにくいですがペルシャ美術としてMuhammadの図像に至ることができます。たとえば次のようなものです
Mohammad Tousi Salmâni
Les Curiosités des créatures et les merveilles des êtres
320 x 230 mm Bagdad (Irak), 1388