浅暮三文 夜聖の少年

ASIN:4199050256

あらすじ

表の世界から逃げてきた者達、それを人々は土竜と呼んだ。土竜はその名の通り、光から逃れて闇の世界である地下で暮らす者達を現す名である。数百年前から遺棄されている地下構造は複雑に入り組んでいて、追っ手をまくには好都合だった。
世界は経済のための平和という「木曜日の儀式」を中心に回っている。「木曜日の儀式」は大人への通過儀礼であり、世に平和をもたらした。木曜日の儀式は人間には存在しないはずの「同族を殺すことを"抑制する"遺伝子」を手に入れるという意味もある。それを経て、ようやく人間らしく扱われるようになるのだ。
しかし、土竜は親のしつけと称する暴力から、あるいは孤児院から、あるいは司直の手から逃げてきた者達なので「木曜日の儀式」に出ていない。そう言った者達はやがて身体が発光してくる。闇の中の土竜は安全だが、その中の光は実に目立つため集団からやがて発光する者は脱落し地下のいずこかへ去っていく。
カオルはそんな土竜の集団の中で腰抜け・うすのろ・役立たずと罵られながら生きてきた。彼が集団の中でのけ者にならずにやってこれたのは奇跡に近かった。集団のトップでもあるケンが穏和で土竜の中でも変わっていることが大きかったのだろう。カオルは力は弱いが、読み書きや考えることが出来たのでなんとか生かして貰っている状態だった。
ある日、ケンの情報屋であるウサギから聖夜には炎人の詰所が手薄になると言う情報を手に入れたので襲撃にかかるのだが、何故かそのメンバーの中にカオルが含まれてしまう。イレギュラーは更なるトラブルを巻き起こすことになるのだが・・・。

感想

浅暮三文初読み。第八回メフィスト賞受賞作の『ダブ(エ)ストン街道』か『カニスの血を嗣ぐ』を読もうと思ったんだけど図書館になかったためこれから入ることに。デュエル文庫って通常の文庫サイズと違うんですねぇ・・・。
発売されたのは2000年12月31日、20世紀最後の日。21世紀にこぼれ落ちることなく20世紀で留め置かれた感じをよく現してますね。表題の『夜聖の少年』は野生と野性と聖夜のトリプルミーニングなんだろうな。
ミステリでデビューしただけ有って、ストーリーに主人公設定を使ったアイディンティティの喪失トリックが挟み込まれていました。ただこれは長い仕込みによるいい手ではある物の決定打と言うには少しばかり力不足な気がしました。ラストに向かって盛り上がる展開にはなりかかっているものの、どこか釈然としないビルドゥング・ロマンなんですよねぇ。EVA以来無気力系のキャラクターが好まれるようになってますが、本作でも主人公はそれに近いですね。うちにうちに籠もるあたりはまさにそのまんま。ただそれにも意味づけするあたりはやはりミステリ畑の人なのだなぁと感じました。
本書の設定は日本で言うならば70'sSFに当りそうな感じです。米英で考えたら50'sか60's的ですね。あっけらかんとした技術の進歩に対する謳歌というよりその技術の行く末を見つつ、人間はその手で自分の首を絞めるかもしれないといった破滅を予期させる内容がそこら辺に当っています。ただ、ここまで直接的ではなく緩やかな形に収まっているみたいですが。管理社会と創造される平和っていうともうまんまですね。これにロボットや高度な知性を持つコンピューターとかが出てくると一層ステレオタイプな古くさいというよりもむしろ古典な未来像そのものになりそうです。フランケンシュタインの怪物と博士というモチーフも大して目新しい物でもありませんしねぇ。
設定を俯瞰して見た上ではハードSFとしては落第な部分が多い。発光という事一つとっても「何故それが起こるのか?」という説明すら出てこないのだからしょうがないわな。故に詰めが甘いのは否めないというか甘々。作者あとがきでいいわけとして書いている「SFを書くのは苦手」というのは本音なんだろうけど、ライトSFとしてSFに興味を持つきっかけになればいいんじゃないかな。この本はあくまで若年層向きでそもそもハードSFの様なギチギチの世界構築は必要ではなく、ゆるい世界観で十分な人向けなのだろう。実際語られるのは人間が光るというほとんどSFというよりファンタジーのそれであるし、経済が繁栄しているらしいが、テクノロジーが進歩している様子はほとんど無い。故にSFとは捉えづらいボーダーな作品であるのは確かだ。加えてミステリとしての技法もつかってもいる。
作者のいう少年のビルドゥング・ロマンとしての楽しみ方が一番しっくり来るのは確かだ。すなわち、ミステリ・SF両方からこれは違うという作品になってしまっていると言うこと。この本を読む適齢期は中学生から高校生ぐらいでそれ以外からはあまり面白い話ではなくなっているだろう。読む人は旬を逃すなってところですか。
70点
蛇足:今更気がついたけど、これって少年犯罪へのカウンター小説だったのね。気がつくの遅すぎ・・・。

参考リンク

夜聖の少年
夜聖の少年
posted with amazlet on 05.12.11
浅暮 三文
徳間書店 (2000/12)

ネタバレ的文章

てか駄文










































SF読みとしてどうにもSFと承認しづらい部分が大いにあったので何となく細かい点について書いてみることにしてみた。要するに駄目出し。纏まりのない文章なので、読みたい人だけ読んでください。特に補償と賠償と謝罪はしませんから割り切ってくださいな
この世界は作者に想像されることになったわけですから、それぞれの設定には必ずなんかしらの必然が有るはずです。しかし、どうにも確固たる必然が感じにくいように思われます。第一の問題点は「果たして平和によって経済が潤うのか?」という点です。経済の基本原則*1の一つに需要と供給のバランスという物があります。需要が極端になればなるほど経済は潤うものです。その需要の拡大を担う一つのファクターとして戦争・紛争はあり得ます。それを取り除いてしまい、経済が潤うとは少々疑問です。ただ、経済格差が無く、どの場所も平等に繁栄しているという前提ならば別でしょうがね。その場合は低調な、共産圏のような需要のバランスに即した供給バランスという形にしかならず必ずしも経済が上手くまわるとは言い難いにしろ、決定的な破滅は無い形に落ち着くように思えます。そうなれば、全人類的には確かに至福なのでしょうが、資本主義的とはとてもではないけれど言い難い様に感じます。
その他にも現在の世界の問題はどう解決されているのか?という点にも疑問があります。現在の世界はあまりにも問題を抱えすぎています。概略で言っても「人口爆発」、「エネルギー問題」、「ゴミ問題」、「環境問題」、「人種問題」、「国毎の経済格差の問題」、「宗教問題」このあたりはどうしても外せないでしょう。一応「軍事問題」ってのもありますが、本書においてはそもそもその問題が無くなった後と言うことであるので外しておきます。まず「人口爆発」の問題ですが、これは一応解決されているので置いておくとして、人口統制は可能であってもエネルギーの問題は解決できていません。それに関する答は文中には有りませんでした。人口爆発以外できちんと解決されているのは「宗教問題」だけで他は皆放置されています。現在の宗教は過去の物となり、DNAを改変して人間同士で無為に闘うということをしなくなった自分たちを崇めているわけです。何とも言えぬ話ですなぁ。
この世界の一般人が平和を尊ぶのであれば異分子たる土竜を殺すという選択肢は端から存在しない物として考えた方が自然なのだと思うのですがどうでしょう。百歩ゆずって武力を用いるにしても相手が武装しているなら兎も角、そうでないならば確保して処置を行うべきなのだとも考えられます。たとえ非適合でも殺すという選択をする前に集団からの隔離をして刑務所のような閉じて隔絶された所で集団生活をさせ、管理をした方がどう考えても単にイレギュラーとするよりも相手をするのは楽でしょうから。
でもDNAの改変が可能としているにもかかわらず、しかも生命倫理において抑止に働くはずの宗教が無くなっているのに何故か研究は進んでいないようです。これは治療という行為が限定的であることの証左なのでしょうが、治療の手段を見つけるという方法論が選択肢として無く、殺す又は孤島に隔離するなどという消極的手段しか用いないというのは片手落ちとしか思えません。何故それが出来ないのか?という問は答が用意されていないのででないのです。どう考えても殺す方が効率的と考えるならば、平和を尊ぶという部分からして病理的ですよね。

やはりこの話で付きまとう違和感の元は日本的でない皮膚感覚だろう。日本では昔から子供はある年齢に達するまでは神の物としてきた。乳幼児の死亡率が高かった頃の名残であるが、これは深く根ざした文化であるので異なると言うことに違和感を感じるわけだ。キリスト教的な考え方では子供は「人間以前の動物」という考え方が普通で人間としては扱わない。確かに日本でも虐待やしつけと称する暴力がはびこっているが、その根底には決して「人間以前の動物」といった考え方は無いと思う。私はそこに据わりの悪さや違和感を感じてしまう。
脱線するが、展開される世界は一体何処なのだろうか?日本の東京などは地下道が整備され、編み目のように走っているので土竜がいたとしても別段おかしいとも思わない。世界規模で考えるならばN.Y.・ロンドン・パリぐらいしか頭に浮かばないのはやはりガス管・電線・電話線はあくまでライフラインでメンテナンスは考えられていても、人が潜む事を考えるならば、それらの地下施設ではなく上下水道及び鉄道施設ぐらいしか思い浮かばないからだ。総ざらいすることが難しいならば、相当大規模であるのは確かなのでこう考えるよりほかないが、だとすると疑問が一点。何故作中に黒人が出てこなかったのか?と言うことだ。どうやら作中の登場人物のほとんどは白人のようなのだ。主人公は黄色人種とのハーフであるようだが、片寄りは相当に激しい。不合理と言ってもいい。まぁ、このあたりは無視すべき事柄なのだとも感じるが、大都市で黒人が出てこないことはおかしい事夥しい。ふと思ったが、どんなに大規模な地下構造を持つ都市であっても、テクノロジーが数百年分進化しているならば、パトロールに炎人を使う必要は皆無だし、ロボットで十分まかなえるはずだ。何も大規模な人型ロボットではなく、暗視カメラと地磁気GPSを応用したネズミのような物で殺す必要はそれ自体にはない斥候用と考えればいい。
なんか、テクノロジーが発達してると考えれば考えるほど、牧歌的な土竜たちの有り様がアホらしくなってくる・・・。SFじゃなく完全にファンタジーにすればよかったのに。

*1:あくまで一般的な話で専門的には細かい点で色々問題があるが、この際大意でしかないので注意