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WirelessWire News連載更新(ポイント・オブ・ノーリターン:プログラミング、AGI、アメリカ)

WirelessWire Newsで「ポイント・オブ・ノーリターン:プログラミング、AGI、アメリカ」を公開。

これまで WirelessWire News で足掛け何年連載してきたか忘れたが、今回が書くのにもっとも苦しんだ。本来なら一週間前に書きあげる予定で、しかし、週末かけて一行も書けず、春分の日を費やしても何も書けず、実質締切の週末を費やしてなんとか書き上げた。

苦労して書き上げた甲斐のある文章だとは思う。しかし、そのために心身に負担をかけるのはおかしい話で、終わりが近いのだろう。

さて、今回の文章でエズラ・クラインのポッドキャストを取り上げているが、彼と『ヒットの設計図――ポケモンGOからトランプ現象まで』(asin:4152098023)の邦訳のあるデレク・トンプソンの共著 Abundance が出たばかりだったりする。

Abundance

Abundance

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Abundance (English Edition)

Abundance (English Edition)

Amazon

書名は「豊かさ」だが、これはある種の皮肉というか、国家的な住宅危機、移民の制限による労働者不足、クリーンエネルギーのインフラ整備の遅れなどアメリカという国の問題を論じるものであり、政策提言まで踏み込んでいるようだ。クラインは、カマラ・ハリスが大統領選挙で勝てると踏んでいたのかな、と思ったりする。

アメリカの問題にフォーカスした本なので、前著同様、邦訳は難しいかもしれない。

ウィキペディアに掲載されているヒドい有名人の写真を改善することを使命とするWikiPortraits

www.404media.co

Wikipedia の著名人のページに、その人の写真が掲載されていることが多々あるが、撮影時期が古かったり、当然ながら宣伝写真じゃなくて、一般人が撮影したものが多いため、往々にして写真としてのクオリティは低かったりする。

というか、Bad Wikipedia Photos というそういう Wikipedia に掲載されているイケてないポートレート写真を集めた Instagram アカウントもあるのね。

今や Wikipedia は人類にとってもっとも価値のあるレポジトリであるが、この現状を改善しようとする WikiPortraits というボランティア写真家の人たちの試みがあるのを初めて知った。

昨年のはじめから WikiPortraits の写真家は世界的な催しや授賞式でセレブの5000枚もの写真を撮影しているとな。それらがオープンライセンスの元で Wikipedia(というか、正確には Wikimedia Commons かな)に公開され、それが Wikipedia の質を向上させているだけでなく、報道機関でも使用されているとのこと。

しかし、そうしたイベントで写真を撮影するのは名の知れた報道機関のカメラマンしか認められないことも多いようで簡単ではないようだが、「おたくの発行部数は?」と聞かれ、「数十億」と答えた WikiPortraits の写真家の話は微笑ましい。資金の問題もあるが(寄付を募っている)、WikiPortraits の写真家の熱意と得られる注目という報酬のほうが上回っているようだ。

これは良い試みだねぇ。

オフショア金融はいかに民主主義を損ない、新たな階級を生み出しているか

The Future, Now and Then で知ったが、『ウェルス・マネジャー 富裕層の金庫番――世界トップ1%の資産防衛』(asin:4622086808)の邦訳があるダートマス大学経済学教授のブルック・ハリントン(Brooke Harrington)の新刊 Offshore が昨年秋に出ていたのを知る。

「隠れた富と新たな植民地主義」という副題からも明らかなように、超富裕層がいかにして法の目をかいくぐり、蓄財を行っているかを解き明かす本のようだ。

ここでも昨年末に超富裕層とその「秘密の世界」についての本を紹介しているが、やはりこの本も超富裕層は我々とは別の世界に住んでおり、それは民主主義や我々が依存する公共財を損なってきたという認識なんですね。

オフショア金融は、見えない形で負担を庶民に負わせながら、世界を植民地化しながら新たな隠れた階級をつくり出している、と聞くと穏やかな気持ちではいられないが、それが現実なんだろう。

ロングレッグス

低予算ホラー映画が見事に大ヒットということで、(本作のプロデューサーも務める)ニコラス・ケイジのファンとしては喜ばしいのだが、日本公開されると結構評判が芳しくないようでどうかと思った。が、ワタシは楽しみました。

やはりニコラス・ケイジがどんなシリアルキラーを演じているのかと楽しみにしていたのだが、最初彼が出てきたときに別の人かと思ったくらい。

FBI捜査官の主人公を演じるのは『イット・フォローズ』でも主人公だったマイカ・モンローだけど、長らく彼女の出演作は観ておらず、『イット・フォローズ』のときよりタイトというかスリムになったなという印象。

ホラー映画らしく早々にショック描写があり、主人公も何かしらの「能力」がありそうなことが示唆される。

さて、シリアルキラー「ロングレッグス」が主人公にどう襲い掛かるのか、主人公はどう殺人鬼と戦うのかと思っていると、なぜかロングレッグスの日常生活が描かれ、もちろん彼はそこでも最高にキモいのだけど、彼は恐怖の源泉たる超人的な殺人鬼ではないの? と疑問が頭をもたげる。しかし、これが事件の真相の伏線なんですね。

これ以上書くとネタバレになるので内容に触れるのはここまでだが、映画としては音で不穏さやショックを表現する種類で、それに成功していると思った。

教皇選挙

これは何度も書いているが、ワタシ自身はカトリックの洗礼を受けている。が、それは単なる事実であって、自分のことを敬虔なカトリック信者とはまったく思っていない。

それでも、ローマ教皇を選出する選挙であるコンクラーベを舞台とする本作がしょうもない映画だったら腹が立つかなと心配だったのだが、何よりエンターテイメント作品として見事だった。

例によって金曜夜の鑑賞だったが、WirelessWire News 連載原稿が書けないための睡眠不足で、本作の画面の暗さを見ているうちに眠っちゃうんじゃないかと心配したが、ここだけの話、じきに尿意を催して結果的に眠気が吹き飛んで結果オーライだった?

でも、本当にコンクラーベの模様が中心に来る作品なので、当然映画にはセックスもバイオレンスも存在しない。しかし、それで本作の登場人物に台詞にもある「戦争」をこのように描けるのかと舌を巻いた。

本作をこれから観る人は、All About ニュースの「『教皇選挙』を見る前に知ってほしい5つのこと。実は「中間管理職」が頑張る「密室サスペンス」だった」に目を通しておくことをお勧めします。

選挙の進行役を務める主人公を演じるレイフ・ファインズの落ち着きのある演技はもちろん見事だし、デヴィッド・リンチが亡くなった年に、出番は多くないが確固たる存在感を示すイザベラ・ロッセリーニをスクリーンで観れたのは嬉しかった。何よりあの人のスピーチが見事な威力だったわけだが、その後最後のサプライズがくるのである。後で冷静に考えると、亡くなった前教皇がどこまで知っていたかを含めてどうかとも思うところもあるが、いやー、見事にやられました。

COMWARE PLUSでブックレビューを担当することになりました

COMWARE PLUS の「デジタル人材のためのブックレビュー」に寄稿することになりました。第1回目は宮内悠介『暗号の子』です。

およそ2年ぶりに COMWARE PLUS の「デジタル人材のためのブックレビュー」を再開することになり、以前よりブックレビューを担当していた高橋征義さんの推薦があり、ワタシも三月に一度ブックレビューを寄稿することになった。

過去回を見れば、ワタシは池澤あやか氏の代打の位置づけと解釈している。技術書そのものよりもテックカルチャー担当ですね。

それでも初回で小説を取り上げるのはちょっと攻め過ぎかとも思ったが、池澤あやか氏がマンガを取り上げた回もあり、また『暗号の子』の内容的にも許容範囲と考えた。

原稿依頼は昨年12月の前半にあり、1月末には原稿を送付していた。実はずっと別の本を取り上げようと考えていて、しかし、どうも気乗りしないところがあり、どうしたものかとずっと思案していた。

その候補本の質は問題なく、飽くまでワタシ自身の内心の問題だったのだが、今年の正月『ロボット・ドリームズ』鑑賞後に前田隆弘氏にお目にかかる幸運があり、その際にこのブックレビューのことを話したところ、「それは別の本について書いたほうがよいのではないか」と助言いただいた。

その時はむにゃむにゃと言葉を濁したが、今となっては前田さんの言う通りであり、『暗号の子』に変えてよかったと思う。

元の候補本がなんだったか気になる人もいると思うが、実は今回のブックレビューにちゃんとその書名も入っているんですよ(笑)。そう、その本です。

前田隆弘さんとは親不孝通りの鳥貴族で一時間ほどアルコール抜きでお話させてもらったが、上記の話などワタシのことを少し話した以外は、ひたすら雨宮まみさんのことを話続けてしまった。

自主制作版、中央公論新社版の両方を持っている『死なれちゃったあとで』のことをもっと聞くべきだった、と後になって頭を抱えたものである。もちろん雨宮まみさんのことも『死なれちゃったあとで』の一部ではあるのだが、その節は好き勝手喋って前田さんに申し訳なかった、と今改めて思う。

SEOから生成AI向け検索対策GAIOへのシフトにより、セマンティックウェブの復権……はなさそうだ

先月から小林啓倫さんが、生成 AI による SEO検索エンジン最適化)から GAIO(生成 AI 最適化)へのシフトの話を書いている。

後者の文章については、ワタシも昨年夏に「Googleからウェブサイトへのトラフィックがゼロになる日」という文章を書いているが、それが本格的になってきたようだ。

さて、そこでカタパルトスープレックスニュースレターの「LLM時代の新たなSEO戦略(LLMO/AISEO)」に書かれる LLM 時代の SEO を読んでいて閃くものがあった。

セマンティックHTMLの活用も重要だ。単なる<div>タグではなく、<article>、<section>、<header>などの意味のあるタグを使用し、コンテンツ構造をAIに伝える。ニュースサイトであれば各記事を<article>タグで囲み、明確な見出し構造を持たせることでクローラーの理解を助ける。

schema.orgに基づく構造化データの実装も効果的だ。LocalBusinessスキーマを使用して店舗情報を明示したり、FAQPageスキーマでよくある質問と回答をマークアップしたりすることで、リッチスニペットの獲得率が向上する。

カタパルトスープレックスニュースレター - by Kazuya Nakamura

これってセマンティック・ウェブ復権につながらないだろうか?

セマンティック・ウェブといえば、ティム・バーナーズ=リーによって提唱され、かつてはこれこそが Web 3.0 の本命だと彼もぶちあげていたが、現実にはそこまで浸透はしなかった。

しかし、それから20年近く経ち、生成 AI 最適化の時代に今一度セマンティック・ウェブが注目される! とぶちあげるアングルで文章を用意していたのだが……。

小林啓倫さんの最新記事によると、現実にはロシアが早くも量でプロパガンダを押し切る手法で生成 AI 最適化を早くも実現しちゃったようだ。

残念ながら、セマンティック・ウェブ復権よりも「LLMグルーミング」のほうが現実的らしい。うーむ。

そうそう、小林啓倫さんの翻訳仕事については昨年末にも讃えているが、先月にも新たな訳書『SENSEFULNESS(センスフルネス)』が出ていますな。すごい仕事量だ。

最終講義を終えられた増井俊之教授の「発明家」としての歩み

ワタシがさくらインターネット福岡オフィスで横田真俊氏のトークを椅子の上で正座して拝聴していた頃、増井俊之慶應義塾大学環境情報学部教授の最終講義が行われていたようだ。

増井俊之氏の業績を振り返るインタビューが公開されている。

corp.helpfeel.com

増井俊之氏にはゼロ年代はじめから2010年代前半の10年余りの期間に Wiki ばなや yomoyomo 飲み会(通称)で何度もお会いしてお話する機会があったのだが、ワタシが氏から一貫して感じていたのは、変わらぬ貪欲さであった。

上にリンクしたインタビューを読んでも分かるように、氏は iPhone の日本語入力システムを開発した偉人なのだが、それで満足したところがなく、もっとユーザインタフェースを改善できないか、もっとより良いものはないかの探求が続いており、というかなんでキミら今の多数派に満足してんの? オレの作ったもののほうがずっと良いぞ、という気概が薄れるところがなかった。

ひとまず、増井先生、お疲れ様でした。

Wordpressサイトにおける過去記事中のリンクをWayback MachineのURLに置き換えるWaybackify-WP

wirelesswire.jp

さて、この文章の中で、ウェブページ中のリンク先が消えてしまう問題、内容が変質してしまう問題に対して、「文中に張るリンク先をすべてインターネットアーカイブWayback Machine(の検索結果)にしてしまうのは、さすがにやりすぎというか、なにより面倒です」と書いたのだが、それをやるためのスクリプトを作る人がいたのを今更知る。

Netscape ブラウザの開発や初期 Mozilla への貢献で知られる jwz こと Jamie Zawinski が、HTML ファイル中のリンクをすべて Wayback Machine の URL に置き換えるスクリプト Waybackify の WordpressWaybackify-WP を公開していた。

これは cron から実行するスクリプトで、Wordpressプラグインではないのに注意。jwz 自身、公開から5年以上経ったすべての投稿にこれを適用しているとのこと。

yamdas.hatenablog.com

この話題についてはワタシも昔触れているが、「恐ろしく悲しい未来」なんて言わずに過去投稿は Waybackify しないといけないのかもなー。

ネタ元は Pluralistic

デヴィッド・グレーバーの遺作の邦訳『啓蒙の海賊たち あるいは実在したリバタリアの物語』が来月出る

yamdas.hatenablog.com

3年近く前にデヴィッド・グレーバーの遺作を紹介したのだが、その邦訳となる『啓蒙の海賊たち あるいは実在したリバタリアの物語』が来月刊行されるのを知る。

ワタシは原書を紹介したとき、「彼の人類学者としてのキャリア初期の仕事の書籍化ということかな?」と書いたのだが、岩波書店のページには「グレーバー生前最後の著作」と書いているので、そういうわけでもないのかもしれない。

さて、原書紹介時には「この本が今度こそ最後の遺作になるはず」とも書いたが、もちろんそんなことにはならなかったわけである。

www.nytimes.com

これは昨年末の New York Times の書評だが、グレーバーのエッセイを集めた The Ultimate Hidden Truth of the World が昨年出ている。まぁ、確かにこういう本は出るわな。

これも来年あたり翻訳が出るのでしょうかね。

ブルータリスト

内容に踏み込みますので、未見の方はご注意ください。

近年の映画の長尺化については、膀胱的プレッシャーの面でいい加減にしろよと思っており、本作も3時間半超という上映時間を知っただけでキレそうになったのだが、この映画はその点素晴らしい。

どういうことかというと、この映画、『アラビアのロレンス』や『2001年宇宙の旅』や『ディア・ハンター』みたくインターミッションが入るんですね。3時間超の映画を劇場でやる場合、インターミッションを義務化してほしいと思ってしまう。

しかも、本作はインターミッション周りが素晴らしいのである。インターミッションが素晴らしいって、もちろん回りくどいけなしではない。

基本的にインターミッションって、映画の真ん中あたりでぽんと静止画に代わるだけだが、本作の場合、音声カットバック(という用語はないと思うが)が極まり、盛り上がり切ったところで自然とインターミッションに入る演出が素晴らしい。そして、インターミッション中に背景に写るものもちゃんと意味があり、しかもインターミッション中にかかる音楽にも工夫があり、徐々に音声が入っていき、また自然に後半に入るところが見事なのだ。

本作を観ていて仰天したのだが、それはワタシ自身の勘違いに起因している。

どういう勘違いか? 本作が実話を基にした映画だと思い込んでいたのだ。

ワタシはある映画を劇場に観に行くと決めたら、それに関する評や感想はなるだけ読まないようにして臨むようにしている(ブログなどは URL だけメモしておき、自分の感想を書いた後に読む)。

なので、本作について実話ベースと何かで勘違いしてしまっていたのだ。エイドリアン・ブロディが、本作と同じくホロコーストのサバイバーの主人公を演じた『戦場のピアニスト』からの連想もあったかな。

また今回、劇場入場時に「建築家ラースロー・トートの創造」と書かれた紙片をもらったのだが、それを見て、本作に製作過程が描かれるマーガレット・ヴァン・ビューレン・コミュニティセンターが、やはり実在するものと事前の思い込みが強化されたところもある。また建築分野は門外漢なもので、ブルータリズムについてまったく知識がないのも一因だった。

あれ? と思ったのは、その紙片の一番最後にラースロー・トートのプロフィールが書かれているのだが、その写真がエイドリアン・ブロディで、普通、こういうのは本人の写真を使わないかと少し疑問に思ったが、そこで紙片をもう少し読み込み、一番下に「本書の内容は一部を除きすべて架空の内容です。」という一文があるのに気づいていたら話が違ったのだが。

ここまで長々とワタシ個人の勘違いについて書いたが、正直、実話ベースと思って観たほうが衝撃が大きいので、それ自体には後悔はない。

ハンガリーから逃げのびた主人公らがアメリカに到着して見上げる空に映る逆さまの自由の女神から始まり、単純なハッピーストーリーなわけはないが、アメリカで成功する移民一代記ものかと思っていたら、本作は主人公がアメリカに蹂躙され拒絶される物語であり、そしてアメリカを去り向かうのがイスラエルという、昨今の世界状況を考えると、なんとも言えない気持ちになる映画だった(エピローグでの主人公の姪のスピーチの終わり方の気持ちの良くなさもすごい)。

本作はある意味『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『TAR/ター』に近い感触がある映画だが、前述の勘違いのため、『悪は存在しない』級の唐突さに仰天してしまうのである。

本作は光と影の演出が印象的な映像だけでなく、音楽も素晴らしいのだが、エピローグにかかる曲は80年代の場面だからいいとして、エンドロールでかかる曲があれなのはどういう意図があったのだろう? 3時間半超の映画にしては低予算で実現された、しかし、とても見事な本作において、あれだけが疑問だった。

名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN

本作について書く前に、ボブ・ディランについて書いておきたい。

兄の影響で洋楽を聴き始めた1980年代、ワタシのボブ・ディランに対する印象がひどく悪かった。何より彼の声が受け付けなかったし、当時明らかに作品的に低迷していたのに、チャリティー企画で大御所的なポジションで優遇されるのも気に入らなかった。

そのように最悪な印象から接することになったが、90年代に彼が復調するのにともない、さすがにワタシも鑑賞力があがってきて、彼の作品が理解できるようになり、印象も変わるのだが、まさか2020年代まで彼が現役で優れた作品を作り、精力的にツアーをこなすとは思わなかったな。

本作はキューバ危機、公民権運動、ケネディ暗殺といった当時のアメリカの政治状況をしっかり組み込みながら、そのディランのキャリア初期を描くものだが、その時代に生み出された名曲の数々が、まさに生み出されたばかりのものとして歌われ、新曲として披露される瑞々しさとともに描かれている。

本作のエンドロールにおいて、ディラン、ジョーン・バエズピート・シーガー、そしてジョニー・キャッシュの歌声が、すべてそれぞれを演じたティモシー・シャラメ、モニカ・バルバロ、エドワード・ノートンボイド・ホルブルックによるものであるクレジットがあるが、ホルブルック以外は素晴らしい域に達していた。やはり、ティモシー・シャラメは見事だったねぇ。

また本作は自由を貫くディランの才能に巻き込まれる他の人たちの哀しみが描かれているのも良かった。本作のクライマックスである1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルの出番前のディランに、シーガー(エドワード・ノートンは偉大な俳優だ)が語るスプーンのたとえのいじましさ、そして「君はシャベルだ」というところにそれがよく出ている。そうした意味で、本作におけるバイクの排気音も気持ちいいというか、当時のディランの攻撃性を表現していると思った。

あと "Like a Rolling Stone" レコーディングのアル・クーパーの逸話(ギタリストとして呼ばれたのに、マイク・ブルームフィールドという天才がいたため出番がなくなり、しかし、なんとか参加したくて半ばもぐりこむ形で起動の仕方も知らないハモンドオルガンを弾いた)がちゃんと描かれているのも個人的には嬉しかったし、ニューポート・フォーク・フェスティバルの翌日、椅子を片付けるピート・シーガーの姿などちょっとした描写もよかったですね。

先週は木曜日に『ブルータリスト』を観て、その翌日には本作で、映画鑑賞的には2025年の頂点なんじゃないかな。

イーロン・マスク並びにDOGEについてのゼイナップ・トゥフェックチーとローレンス・レッシグの見解

www.nytimes.com

コロナ禍はそちら方面の記事が主になっていた印象があるゼイナップ・トゥフェックチーだが、最近は『ツイッターと催涙ガス ネット時代の政治運動における強さと脆さ』の著者らしい文章もぼちぼち New York Times に寄稿している印象がある。

彼女がイーロン・マスクが DOGE で行っているクーデターの真意を探る文章である。

マスクを政治の文脈だけに位置づけようとするのは間違いだと彼女は説く。彼は政府の役人のように課題に取り組むのではなく、国家の技術システムに組み込まれた脆弱性を悪用し、サイバーセキュリティの専門家が内部脅威と呼ぶような活動を行うエンジニアの手法を使っているというのだ。

米国政府の情報機関間の細分化が9.11を防げなかった反省から、膨大なデータを収集し共有する統合システムが構築されたが、それを運用するには数人のシステム管理者に強大な権限を与える必要がある。Uber でいう「ゴッドビュー」ですね。

エドワード・スノーデンが膨大な情報を持ち出して内部告発できたのも、彼がシステム管理者だったからだが、『ウォッチメン』でも引用される「誰が見張りを見張るのか」問題が避けられない。

現在、DOGE の連中が政府全体のシステム管理者になり、この中央集中型のデータベースを握っているわけですね。トゥフェックチーの文章の締めは読んでてなんとも暗い気持ちになる。

今、私たちは、政府の正当な機能を行使したい人たちと、政府を解体したい、つまりは自分たちの目的のための政府を武器化したい人たちに同じだけの能力を提供するシステムから抜け出せなくなっている。誰がデータベースにどのような権限でアクセスしたか知る仕組みすらないと見える。裁判官が尋ねても、明確な答えが得られるとは限らない。それを知るのはシステム管理者だけで、彼らは何も言わない。

lessig.medium.com

ローレンス・レッシグも DOGE について書いている。

彼は以前の文章から「ポピュリズムは党派的なものではなく、関係的なものだ。重要なのは左派対右派ではない。内対外が重要なのだ。ポピュリズムとは現状に対する拒絶である。インサイダーに対する拒絶である。ポピュリズムとは、人々が自分たちの声を聞いていないと思っている体制に対する悲鳴なのだ」という文章を引用した後で、左派の多くは DOGE を攻撃するが、それは間違いだと書く。

どういうことかというと、我々は DOGE の理想を受け入れた上で、現政権が行っていることはその理想に何ら沿ったものではないことを示すべきだと説く。

DOGE の理想とは何か? それは効率的で汚職のない政府へのコミットメントである。しかし、現政権の目的は普通のアメリカ人を助けることではなく、トランプへの資金提供者を助けることで、DOGE が行っていることはその最も明確な証拠だと言うのだ。

だから、まず最初に DOGE の原動力となる理想は正しく、良いものであること、政府の効率性を根本的に改善する必要があることを認め、次に政府に効率性を求め、そして現実の DOGE がやっていることがクレプトクラシー(kleptocracy)、つまり少数の権力者が国民や国家の金を横領して私腹を肥やす政治体制であることを説明するべきと説く。

DOGE がやっていることが見事にイーロン・マスク個人に利益をもたらしていることについては New York Times の記事に詳しいが、実際は DOGE がやっていることは政府の大した経費節減にならず、政府の仕事を悪化させ、このままでは不条理なミスが延々と続くことになる。

これをレッシグは「チャンスだ」と書くのだが、「選挙資金をくれた人間に政府を委ねるとどういうことになるかという実例をくれた」と書いた上で、「資金提供者の勝ち。我々の負け。いつもそう」と文章を締めており、全然チャンスじゃないだろ! とツッコみたくなる。

まぁ、ノア・スミスが言うように、イーロン・マスクを無能と侮るのは危険すぎるというのは確かだが、悪い意味でも有能なのがねぇ。

Skypeの終焉によせて

www.itmedia.co.jp

とうとうこの日が来てしまった。

一昨年に「Skypeの隆盛と凋落の20年史」というエントリを書いているが、それから特に何のトピックもないまま、Skype は22年の歴史に幕を閉じる。

Skype の破壊性を考えるうえで、以下のツイートが的を得ているように思う。

個人的なことを書かせてもらえば、もちろん Skype の高品質の無料通話にはとても助けられたけど、Skype を契機として、P2P の名前を冠した勉強会、カンファレンスに参加することで知り合えた人が多く、そうした意味でも Skype には感謝の気持ちがある。

Skype 自体およそ10年前にはもはや P2P アプリケーションでなくなっていたのだが、かつてあった「P2P」への期待の名残りは、例えば、横田真俊氏のブログの名前などに見られる。

世界を変えた130人の驚くべき女性たち

歴史は必ずしも見かけ通りではない、という書き出しで始まる記事だが、これは DNA の二重らせん構造の発見に不可欠な研究を行ったのにノーベル賞受賞の名誉に預かれなかったロザリンド・フランクリンのことを指している。

そのように必ずしもしかるべき評価を受けなかった人を含め、ジャンルを問わず困難な試練に立ち向かった勇敢な女性を Mental Floss 編集部が130人(正確には132人)リストアップしている。

単純にそのリストを紹介させてもらうが、以下はアルファベット順である。

やはりアメリカ人中心で、日本人は田部井淳子ただ一人。

ウィキペディア日本語版にページがない人が結構いるなという印象だが、その一人であるエリザベス・フリードマンについては評伝の邦訳を昨年秋に取り上げているね。

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