香風 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2027-06-05 力走 十九 このエントリーを含むブックマーク

2017年5月7日(日)行進:1

・「お父さんの目が治ってよかったね」
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20270604


(聖教新聞 2016-04-15)


新・人間革命 力走 十九】

 高丘秀一郎の右目が、突然、かすみはじめたのは、前年の一九七七年(昭和五十二年)十月、柿の実が赤く色づいていた日であった。翌日には、ほとんど見えなくなった。
 眼科で二週間、治療を受けたが、効果はなく、大学病院脳神経外科を紹介された。その時には、既に右目から光は失せていた。
 脳神経外科では、視神経炎と診断されたが、原因は不明であるという。
 年が明けた三月、左目にも異変を感じた。大学病院に行くと、すぐに入院するように言われた。四時間おきに注射と飲み薬が投与され、副作用で体全体が腫れあがった。
 毎夜、眠りにつく時、“このまま永遠に暗闇の世界に入ってしまうのではないか”と、不安に苛まれる。朝、目が覚め、光を感じることができると、ほっとする――その繰り返しであった。
 しばらくして、医師は高丘に告げた。
 「率直に申し上げますが、今の医療ではなすすべがありません。悪化はしても、これ以上、良くなることはないと思います」
 彼は、“もはや信心しかない。本気になって信心に励んでみよう”と腹を決めた。
 それまでは、“頑張って信心してきたのに、どうしてこうなるのだ!”という思いがあった。しかし、新たな決意で唱題に励むと、心が変わっていくのを感じた。
 “俺はこれまで、教学を学んできた。御書に照らして見れば、過去世で、悪業の限りを尽くしてきたにちがいない。それなのに大した信心もしないで、御本尊が悪いかのように考えていた。傲慢だったのだ。
 日蓮大聖人は、「諸罪は霜露(そうろ)の如くに法華経の日輪に値(あ)い奉(たてまつ)りて消ゆべし」(御書一四三九ページ)と仰せになっている。信心によって、今生(こんじょう)で罪障消滅できるとの御断言だ。なんとありがたい仏法なんだ!”
 そう思うと、御本尊への深い感謝の念が湧いてくるのだ。
 感謝の心は、歓喜をもたらし、その生命の躍動が、大生命力を涌現させる。

2027-06-04 「お父さんの目が治ってよかったね」 このエントリーを含むブックマーク

2017年4月25日行進:2

力走 十七
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20270602


(聖教新聞 2016-04-14)

新・人間革命 力走 十八】

 山本伸一が妻の峯子と共に高丘秀一郎の家を訪ねたのは、午後四時過ぎであった。並木通り沿いにある瓦屋根の真新しい二階屋で、道を隔てて高校のグラウンドが広がっていた。
 高丘家には、既に伸一の訪問が伝えられており、主の秀一郎と妻の直子、高校一年になる長男の龍太が一行を迎えてくれた。
 「とうとう名張へ来ましたよ」
 そして伸一は、長男に視線を向けた。
 「お父さんの目が治ってよかったね」
 その声がかすれた。喉に痛みを感じた。
 「申し訳ありませんが、うがいをさせていただけませんか」
 台所に案内された伸一が、うがいをしていると、勝手口から、こちらをのぞいている制服姿の女子高校生が見えた。
 「どうしたの?」
 「表を通りましたら、高丘さんのお宅に母の車があったので、母がいるかと思って、見ていたんです」
 彼女の母親は、高丘直子から、伸一が高丘家を訪問すると聞いて、駆けつけてきたのである。
 「おそらく、お母さんは、部屋の方にいると思いますよ。あなたもいらっしゃい」
 仏間に行くと、近隣の学会員など、七、八人ほどが集っていた。
 伸一は、皆で題目を三唱したあと、「今日は座談会を開きましょう。どなたか、体験を語ってください」と話しかけた。
 口を切ったのは、秀一郎であった。
 丸顔に柔和な笑みを浮かべ、喜びをかみ締めるように語り始めた。
 「先生。おかげさまで、見事に視力は回復し、十月には、職場復帰を果たせました。
 体は、以前にも増して健康になり、信心への強い確信がもてるようになりました。御本尊の力を生命で感じております。今、仏法対話することが、嬉しくて仕方ないんです」
 功徳を実感するならば、おのずから歓喜が湧き、その体験を語りたくなる。歓喜こそ、広宣流布の原動力である。

2027-06-03 歌詞 Sea Seed このエントリーを含むブックマーク

2017年4月25日(火)行進:1

 歌詞 Sea Seed Lyrics:Micro


 夢を見続けていた子供が今日のこの僕ら
 次の時代に何をいま残せるのだろう
 熱き情熱とやらはどこへ
 今この子に言ってやれる事は
 溢れ出す感情を抑えて語る砂浜の上、珊瑚

 今も続くこの長い道
 日々の暮らしなんてのは地道
 せっせと働く君と二人
 さぁさ出かけよう この海原に

 先の50年も  7世代先までも
 未来はその手に  未来はその手の中に

 あたしがこの世を去れば
 あなたは気付いてくれるのか
 それでは遅すぎるから
 約束するその時までに
 Sea Seed Sea Seed

 山 風 伝う海 光 太陽の恩恵を受け
 川や森 流るる波 魚たちの泳ぐ道
 人が歩くこの道

 「なんくるないさ」じゃないさ
 なんとかしなきゃ今
 「なんくるないさ」じゃないさ
 なんとかしなきゃ今

 「なんくるないさ」じゃないさ
 なんとかしなきゃ今
 「なんくるないさ」じゃないさ
 なんとかしなきゃ今

2027-06-02 力走 十七 このエントリーを含むブックマーク

2017年4月20日行進:3

・力走 十六
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20270528


(聖教新聞 2016-04-13)

新・人間革命 力走 十七】

 関西入りした二十九日、創価学園創立者である山本伸一は、学園の関係者から、関西創価小学校の建設などについて、深夜まで相談を受けた。さらに、三十日には、大阪府交野市創価女子学園(後の関西創価学園)に場所を移して、打ち合わせを続けた。
 午後四時前、学園に松下電器産業(後のパナソニック)の相談役となっていた実業家の松下幸之助を迎えた。教育に強い関心をもつ松下翁(おう)の希望もあり、学園での語らいとなったのである。
 伸一は、松下翁が三日前に八十四歳の誕生日を迎えたことを祝福しながら、四時間近くにわたって、幅広く意見交換を行った。
 松下翁を見送ったあと、伸一は学園を発って、車で三重研修道場へ移動した。到着したのは午後十時過ぎであった。ここでも、中部の首脳の報告を聞きながら、今後の活動について協議した。
 そして、翌十二月一日の午後三時過ぎ、三重県名張市へ向かった。名張市奈良との県境に位置し、研修道場から車で一時間ほどのところにあった。大阪奈良ベッドタウンとして発展してきた地域である。
 伸一が、三重県のなかで、まだ行っていない地域への訪問を強く希望したことから、名張で地元幹部らと、協議会を開催することが決まったのである。
 この日の朝、彼は、道場内を散策しながら、三重県長の富坂(とみさか)良史に尋ねた。
 「今日、伺うことになっている名張方面で、私が家庭訪問すべきお宅はありませんか」
 価値創造は時間の有効な活用から始まる。
 「ぜひ、先生に激励をお願いしたい方がおります。以前、先生にご指導していただき、失明危機を見事に乗り越えた、名張本部の本部長をしている高丘秀一郎さんです」
 「ああ、立川文化会館で激励し、今年の春に三重研修道場でお会いした方だね。元気になってよかった。嬉しいね。お訪ねしよう」
 懸命に励ました人が、悩みを克服できた報告を聞くことに勝る喜びはない。

2027-05-31 ♪Power in da Musiq このエントリーを含むブックマーク

2027-05-30 希望の羅針盤 このエントリーを含むブックマーク

2017年4月19日行進:3

●Randoll Encarnacion, SGI Philippines, shares his family’s philosophy and values. Hardships make us strong. Problems give birth to wisdom. Sorrows cultivate compassion. Those who have suffered the most will become the happiest.--Daisaku Ikeda

●苦労は力になる
 悩みは智慧(ちえ)になる
 悲しみは優しさになる
 いちばん苦しんだ人が
 いちばん幸せになれるのだ--池田大作


(創価新報 2017-04-19)

【希望の羅針盤 池田先生の指導から】

●みずから外に打って出る行動。
 これがストレスをはね返す
 最善の方法とはいえまいか。

●もっと「自分自身に生きる」勇気をもつべきである。

2027-05-28 力走 十六 このエントリーを含むブックマーク

2017年4月19日(水)行進:1

・力走 十五
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20270526


(聖教新聞 2016-04-12)

新・人間革命 力走 十六】

 十和田(とわだ)光一は、山本伸一真心と気迫に圧倒されながら、話を聞いていた。
 「病に打ち勝つ根本は、大生命力を涌現(ゆげん)させていくことです。その力は、他者を守るために生き抜こうとする時に、最も強く発揮されるんです。
 戦時下に生きた人びとの記録や、引き揚げ者の証言等を見ても、子どもを守ろうと必死であった母たちは、誰よりも強く、たくましく生き抜いています。
 私たちは、広宣流布という万人の幸福と世界の平和の実現をめざしている。その使命を果たしゆくために、自身の病を克服しようと祈るならば、地涌の菩薩の生命が、仏の大生命が涌現し、あふれてきます。それによって病に打ち勝つことができるんです。
 また、信心をしていても、若くして病で亡くなることもあります。それぞれのもっている罪業(ざいごう)というものは、私たち凡夫(ぼんぷ)には計りがたい。しかし、広宣流布に生き抜いた人には、鮮やかな生の燃焼があり、歓喜がある。その生き方、行動は、人間として尊き輝きを放ち、多くの同志に共感をもたらします。
 病床にあって見舞いに訪れる同志を、懸命に励まし続けた人もいます。薄れゆく意識のなかで、息を引き取る間際まで、題目を唱え続けた人もいます。
 それは、地涌の菩薩として人生を完結した姿です。今世において、ことごとく罪障(ざいしょう)消滅したことは間違いありません。さらに、生命は三世(さんぜ)永遠であるがゆえに、来世もまた、地涌の使命に燃えて、地涌の仏子の陣列に生まれてくるんです。
 広宣流布の大河と共に生きるならば、病も死も、なんの不安も心配もいりません。私たちには、三世にわたる金色燦然(こんじきさんぜん)たる壮大な幸の大海が、腕(かいな)を広げて待っているんです」
 伸一は、不二(ふに)の関西の同志には、何ものも恐れぬ勇猛(ゆうみょう)精進の人に育ってほしかった。
 文豪トルストイは訴えている。
 「平安にして強き人でありたいと思ったら、自己の胸に信仰を確立するがよい」(注)
 小説『新・人間革命』の引用文献
 注 トルストイ著『一日一章人生読本4〜6月』原久一郎訳、社会思想社

2027-05-26 力走 十五 このエントリーを含むブックマーク

2017年4月18日(火)行進:1

・力走 十四
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20270525


(聖教新聞 2016-04-09)

新・人間革命 力走 十五】

 山本伸一は、十和田(とわだ)光一に訴えた。
 「もちろん、それぞれが、普段から病気にかからないように心がけ、規則正しい生活をし、食生活にも気を配り、健康管理に努めていくことは当然です。しかし、遺伝的な要因などによる病気もある。
 大事なことは、病気に負けないことです。たとえば、病で歩行も困難になってしまったとする。だから不幸かというと、決して、そうではありません。歩けなくとも、幸せを満喫して、はつらつと生きている学会員を、私はたくさん知っています。
 人生には、病に襲われることもあれば、失業倒産など、多くの苦悩があるが、それ自体が人を不幸にするのではない。その時に、“もう、これで自分の人生は終わりだ”などと思い、希望をなくし、無気力になったり、自暴自棄になったりすることによって、自らを不幸にしてしまうんです。
 つまり、病気などに負けるというのは、その現象に紛動(ふんどう)されて、心が敗れてしまうことをいうんです。
 したがって、苦境を勝ち越えていくには、強い心で、“こんなことで負けるものか! 必ず乗り越え、人生の勝利を飾ってみせるぞ!”という、師子(しし)のごとき一念で、強盛(ごうじょう)に祈り抜いていくことです。
 日蓮大聖人は、『南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや』(御書一一二四ページ)と仰せではないですか。
 また、苦難、悩みがあるからこそ、それを乗り越えることによって、仏法の功力(くりき)の偉大さを証明することができる。闘病体験もまた、広宣流布を進めていくうえの力となっていきます。人生のすべてを生かしていけるのが仏法なんです。
 だから、病の診断を受けたら、“これでまた一つ、信心の体験が積める! みんなに仏法の力を示す財産が増える!”と考えていくことです。くよくよするのではなく、堂々と勇み立って、病に対していくんです。
 ――栗山さんに、そう伝えてください」

2027-05-25 力走 十四 このエントリーを含むブックマーク

2017年4月17日行進:2

・力走 十三
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20270523


(聖教新聞 2016-04-08)

新・人間革命 力走 十四】

 静岡県幹部会で「静岡健児の歌」が発表された十一月二十九日夜、山本伸一は、空路、東京から大阪へと向かっていた。
 伊丹空港大阪国際空港)から大阪豊中市の関西牧口記念館への車中、同乗した副会長で関西総合長の十和田光一が、意を決したように語り始めた。
 「関西婦人部長の栗山三津子さんのことで、報告があります。実は、先日、癌と診断され、手術をしなければなりません。幸い、早期発見で命に別状はないとのことです」
 伸一は、詳しい病状を尋ねた。
 そして、記念館に到着すると、すぐに栗山に宛てて手紙を書いた。
 「病気のこと、心配しております。私も、強く、御祈念いたします。長い人生と長い法戦のうちにあって、さまざまな障魔があることは当然です。
 断固、病魔を打ち破って、また生き生きと、共に学会の庭で勇み活躍されますように、私たちは待っております。
 ともかく、少し、人生、思索の時間も必要なものです。それを御本尊様が、お与えくださったと思うことです」
 伸一は、手紙を書き終えると、十和田に言った。
 「栗山さんに無理をさせるわけにはいかないので、関西婦人部長の後任人事も検討した方がいいだろう」
 そして、人事の相談にのりながら、病への考え方について語っていった。
 「長い間、頑張り抜いてくれば、疲労がたまったり、病気になったりすることも当然あるよ。そもそも仏法では、生老病死は避けることができないと説いているんだもの。
 だから“病気になったのは信心が弱かったからだ。幹部なのに申し訳ない”などと考える必要はない。そう思わせてもいけません。
 みんなで温かく包み、『これまで走り抜いてきたのだから、ゆっくり療養してください。元気になったら、また一緒に活動しましょう』と、励ましてあげることです」

2027-05-23 力走 十三 このエントリーを含むブックマーク

2017年4月14日(金)行進:1

・力走 十二
http://d.hatena.ne.jp/yoshie-blog/20270522


(聖教新聞 2016-04-07)

新・人間革命 力走 十三】

 山本伸一は、十一月二十五日には創価文化会館内の広宣会館で開かれた千葉県支部長会に出席。二十六日は東京八王子で教学部初級登用試験の受験者、採点官らを激励。二十七、八の両日は、学生部代表と懇談した。
 彼は、これまでに会えなかった人と会おうと、懸命に時間をつくり、行動していった。
 そのなかで学会歌の作詞も続け、静岡県の同志(とも)に、「静岡健児の歌」を贈ったのである。
 同県では二十九日夜に県幹部会を開催し、合唱団によって県歌が初披露された。
  
 一、ああ誉れなり 我が富士を
   朝な夕なに 仰ぎ見む
   地涌の我等も かくあれと
   静岡健児よ いざや立て いざや立て
  
 二、朝日に輝く この大地
   世界の友は 集いくる
   この地楽土に 勇み立て
   静岡健児よ 今ここに 今ここに
  
 三、この地の広布が 満々と
   世紀の功徳と 雲と涌く
   烈士に続かん この我は
   静岡健児よ いざや舞え
   静岡健児よ いざや舞え
  
 歌詞の冒頭、伸一は「富士」を詠んだ。そこには、「富士のごとく、烈風にも微動だにせぬ、堂々たる信念の人たれ!」「富士のごとく、天高くそびえ立つ、気高き人格の人たれ!」「富士のごとく、慈悲の腕(かいな)を広げ、万人を包み込む大境涯の人たれ!」との、静岡の同志への願いが託されていた。
 それから三十年後の二〇〇八年(平成二十年)十一月、伸一は、新時代第一静岡県青年部総会を記念し、この歌に加筆した。二番の「世界の友は」を「正義の同志(とも)は」に、三番の「世紀の功徳と」を「師弟の陣列」に、最後の「いざや舞え」を「いざや勝て」とし、静岡健児の新出発を祝福したのである。