Beaumarchais (1732-1799)
フランスの劇作家。策略家。 本名Pierre-Augustin Caron。 三部作《セビリャの理髪師》《フィガロの結婚》《罪ある母》を発表。
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Barbier De Seville
Le Mariage De Figaro: Comedie En Cinq Actes, 1784 (Ldp Theatre)
『セビリアの理髪師』の一場面 「フィガロ三部作」の第一作 1772年、ボーマルシェは、かつて妹の名誉を救うために滞在し、元婚約者と裁判で闘った地、スペインでの体験をもとに、オペラ・コミック『セビリアの理髪師 または無益の用心』を書きました。 これがイタリア劇団から上演を断られたあと、喜劇として作り直し、コメディ・フランセーズに持ち込みました。 いったん上演が決まったものの、ボーマルシェはショーヌ公爵やグズマン判事との係争を抱え、当局からトラブルメーカーと目されて上演は禁止。 その後、王の密使としての仕事が忙しく、この作品は放っておかれましたが、1775年にようやく初演ができました。 なかなか上…
ヨークタウンの戦いでフランス軍(左)、アメリカ軍(右)に降伏する英国コーンウォリス将軍 風雲急を告げる新大陸 王や王妃のスキャンダル暴露防止のため、王の密使となって度々英国に乗り込んで活動したボーマルシェ。 彼が次にのめり込んだのは、なんとアメリカ独立の支援でした。 『セビリアの理髪師』『フィガロの結婚』の作者が、ここまで歴史に食い込んでいたとはあまり知られていないでしょう。 当時、フランスは七年戦争で英国に負け、特にアメリカ新大陸の植民地をかなり英国に奪われてしまいました。 また、ドーバー海峡に面したフランス領、ダンケルク要塞の破却も、パリ講和条約で決められ、さらに英国監視官の常駐まで認めさ…
ボーマルシェ 国王最後の愛人のスキャンダル グズマン判事と自分との裁判について、そのいきさつや経過を逐一出版して、世論を味方につけたボーマルシェ。 結果、パリ高等法院で勝訴を勝ち取ります。 そして一躍、ジャーナリストのような有名人となります。 そんなボーマルシェに、なんと国王ルイ15世から密命が下ります。 王は、出版という危険な手段で世論を操作するボーマルシェに危険を感じていましたが、逆にその力を利用しようと考えたのです。 すでに晩年となっていたルイ15世は、デュ・バリー夫人を最後の愛妾にしていましたが、ロンドンに亡命したモランドというフランス人が、ふたりのスキャンダルを書いた文書を出版する、…
ボーマルシェ 宮廷の寵児に、嫌がらせの数々 時計職人から、一気に国王の姫君たちのお気に入りにまでなった、カロン・ド・ボーマルシェ。 そんな宮廷の寵児には、廷臣たちの嫉妬や陰謀、陰口が待っていました。 ある貴族は、ボーマルシェに恥をかかせようとして、自分の懐中時計が壊れたから、直してくれたまえ、と満座で迫ります。 お前はしょせん職人上がりではないか、というわけです。 ボーマルシェは、自分不器用ですから、と辞退しますが、貴族はここぞとばかりに強要します。 すると、彼はわざと手から時計を落とし、高価な時計は床で壊れてバラバラに。 「ほらご覧なさい、自分は不器用だからと申したではござらぬか」と、呆然と…
原作者を取り上げた映画『ボーマルシェ フィガロの誕生』(1996年) 『フィガロの結婚』第3幕第5場 フィガロが借金のかたに、マルチェリーナと結婚するべきかどうかが争われた裁判。 法廷で判決が出て、一同がガヤガヤと部屋に入ってきます。 ボーマルシェの原作では、裁判の様子も劇化されているのですが、モーツァルトのオペラではカットされています。そのため、原作は5幕ありますが、オペラは4幕です。 アルマヴィーヴァ伯爵の領主裁判権のもとで行われた判決。 判事はドン・クルツィオ。 判決は、伯爵の思惑通り、マルチェリーナの勝訴、フィガロの敗訴。フィガロはマルチェリーナと結婚すべし、というものでした。 フィガ…
買ったまま放置していた、というかまとまった時間がとれなくて視聴していなかった下記DVDを、3連休の最初の2日間に視聴した。 www.universal-music.co.jp モーツァルト生誕250周年の2006年のザルツブルク音楽祭での上演で、指揮がアーノンクール、スザンナをロシアのプーチン支持者として悪名を得てしまったアンナ・ネトレプコが歌っている。ネトレプコは確かに目を引く人で、あまり好きなタイプではないにも関わらずついつい見入ってしまうのは確かだ。劇場作品にはそうした要素もある。なおネトレプコは2008年の出産を境に体型がすっかり変わったらしいが、その後も体型の振れ幅がずいぶんあるらし…
後厄パリ・ベルリン・コペンハーゲン女ひとり旅 (前回はこちら) 2日目 木曜日 パリ 5:00 目が覚める 荷物整理、Googleマップで調べ物など。 今日はバスティーユ市場と服屋Merci、凱旋門、エッフェル塔など西に移動しながら観光したい。 昨日のレストランの近くにあるパン屋さんの評価が高いので、朝ごはんを買いに行く。 7:00 パン屋「Le Signature des Artisans」へ おしゃれなお店。朝から次々にお客さんが。 朝イチはパンだけだけど、ケーキ屋さんでもある クロワッサン バゲット €2.60(¥427) 宿に帰る時、鍵が開かなくて焦ったが、ドアノブが硬いだけだった。ヨ…
知っているけど、読んだ事がない名作。 結構あるんですよね。 私も何となく内容は知っているけれど、読んだことがなかった。という名作がたくさんあります。 また学生の頃読んだ感想と大人になった今読む名作は感じ方がかなり変わると思います。 そんな名作のあらすじをご紹介します。 あらすじを読んでみて興味があれば実際に本をとり、大人になった今どう感じるか読んでみてくださいね。 フランス文学 レ・ミゼラブル:ヴィクトル・ユゴー 女の一生:モッパーサン ボヴァリー婦人:フローベール フィガロの結婚:ボーマルシェ 狭き門:アンドレ・ジッド カルメン:メリメ ペスト:カミュ ゴリオ爺さん:バルザック 赤と黒:スタ…
フランス人権宣言(ジャン=ジャック・フランソワ・ル・バルビエ画) 人類が到達した、偉大なる宣言 1789年7月14日。 パリ市民が、絶対王政の圧政の象徴であったバスティーユ監獄を陥落させ、フランス革命の火ぶたが切って落とされました。 7月14日は、フランス共和国の建国記念日であり、「パリ祭」として今でも祝われています。 ただ、バスティーユ襲撃は、まだ法的な意義、評価がされない間は単なる反乱、暴動であり、パリの争乱はフランス各地に広がってゆきました。 地方の農民や都市民が在地の第一、第二身分を襲うという、無秩序なパニック状態となってしまいました。 「大恐怖」といわれています。 立憲国民議会はこの…
「首飾り事件」の首飾りのデザイン画 「首飾り事件」の発覚 1785年夏、王妃マリー・アントワネットは、ボーマルシェ作の喜劇『セビリアの理髪師』を、プチ・トリアノン宮殿の自分専用の劇場で、自ら上演するのに夢中になっていました。 ベルタン嬢にコスチュームを作らせ、コメディ・フランセーズの演出家を呼んで、演技指導を受け、稽古に励んでいました。 ところがある日、首席侍女のカンパン夫人が稽古に遅刻してきました。 どうしたの、と問うと、トラブル発生です、という報告。 出入りのユダヤ人宝石商人ベーマーがやって来て、『王妃が分割払いで購入した非常に高価なダイヤモンドの首飾りの支払いがないので、このままでは破産…
明日には図書館に返さなければならないので、水谷彰良著『サリエーリ - モーツァルトに消された宮廷楽長』(音楽之友社, 2004)についてメモを残しておく。下記は2019年の復刊版へのリンク。 www.fukkan.com 本文を始める前に、弊ブログにいただいた下記コメントを紹介する。 kj-books-and-music.hatenablog.com まやや&充実 (id:mayaya_jujitsu) 水谷彰良氏『サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長』は、数年前に自分がサリエリに関心を持った時に読んだ本の一冊です。水谷氏は日本におけるサリエリ研究の第一人者ではと思います。 「サリエリの…
プチ・トリアノンの「王妃の劇場」 王妃の作った「演劇部」 1779年、王妃マリー・アントワネットはお芝居づいていました。 パリのオペラ座でやっている演劇やオペラを、自分とその取り巻きで上演しようというのです。 さながら、自ら部長を務める「宮廷演劇部」を創る、といった感じです。 音楽好きのハプスブルク家では、先祖の〝バロック大帝〟レオポルト1世が自らオペラを作曲、オーケストラを指揮、また時には舞台に立つほどで、その子孫たちも、祝い事などでの余興で演技をすることはよくありました。 皇帝ヨーゼフ2世の再婚の祝典オペラでは、弟レオポルト2世が指揮し、妹マリー・アントワネットも舞台に出ました。 そして拍…
フランスの美食に秘められた謎めいた一品、『オペラ』みなさんはご存知でしょうか?。パリのパティスリー、ダロワイヨが紡ぎ出すその美味は、まるで舞台の幕が上がるような感動。7層に重なる構造の歴史や、オペラ座へのオマージュが織り交ぜられたこの華麗なケーキ。一口で解き明かされる、チョコレートの奇跡。ぜひ、美味の冒険にご一緒に。 【オペラ・フルサイズ】貴婦人が愛したチョコレートケーキ・オペラ神戸お取り寄せスイーツ 神戸お取り寄せスイーツ Amazon どんなお菓子? 具体的な構造 誕生した場所は? オペラの歴史には欠かせない「ダロワイヨ」の歴史 オペラが誕生したのどうやって? オペラの原型を作ったのは別の…
18世紀前半のフランスの代表的喜劇作家マリヴォーの作品の新訳と、詳細な注、そして解説(試論)から成っている。翻訳のほうは、人物のセリフやしぐさに関する細かな注がついており、主人公が真剣に恋しているのか、金目当てなのかが議論になる作品だという。 しかし、学術論文ならこれでいいのだが、体裁は一般書として出されていて、それだと妙なところが細かすぎる。特に最後の上演史のところは、専門家以外にはかなり無用の長物であろう。それと、当時人気のあった喜劇作家のダンクールというのが名前が出てくるのだが、この作家は翻訳もないし、論文すらないから、ダンクールとマリヴォーがどう違うのか、一般読者にはまったくと言ってい…