アジェの同時代にはラルティーグがいて、ラルティーグは華やかなパリの繁栄と自らの豊かな生活を写真にした。 反面、アジェは流行の波にも乗らず、当時でもすでに古き良きと言われそうなパリの街の「表面」を複写して回った。 そのまんまに写らない写真は、写真として使い物にならない。 その意味でアジェは、正しいことをやっている。 自己表現をしない表現は、清々しい。 生涯に8,000枚の写真を残したアジェの写真を撮る動機は、パリの街にあるもとばかり僕は思っていたが、単純にそれだけでもなかったのではないかという疑問も片方では残る。 流行にのらないアジェ。 そして、どこにも属さないアジェ。 時代おくれな人だったと言…