Anthony Mann
アメリカの映画監督。
1906年6月30日、カリフォルニア州サンディエゴ生まれ。本名エミール・アントン・ブンズマン。父母は共に教師。
舞台俳優を経て、プロダクション・マネージャー、ステージ・マネージャー、セット・デザイナーとしても活動。
1931年に最初の妻ミルドレッド・ケニョンと結婚。
1937年、デイヴィッド・O・セルズニックの下で『風と共に去りぬ』のニューヨークにおけるスクリーン・テストの監督を行う。
1939年にはセルズニックのもとを離れ、パラマウント社で助監督として3年間働く。その間、プレストン・スタージェス監督の『サリヴァンの旅』(1941)の助監督につく。
以前演出したブーシコー作『ニューヨークの町』のTV放映版(1939年8月31日放映)を演出。この生放送の5分間分の無声キネスコープ・フィルムはニューヨーク・TV&ラジオ博物館に所蔵されているが、TV番組の最も古い資料映像のひとつである。
1942年、アンソニー・マン名義で低予算犯罪劇『ドクター・ブロードウェイ』を監督。
1940年代末に撮影監督ジョン・オルトンと組んだ初期フィルム・ノワールは古典となっているが日本未公開。
日本では主に1950年代のジェイムズ・スチュアート西部劇や1960年の史劇超大作で知られる。
1957年にメキシコ人女優サリタ・モンティエルと再婚するが1963年に離婚、その後、元バレリーナのアンナと再婚した。
自身の製作で1966年末にベルリンで撮影の始まった『殺しのダンディ』を撮影中、数週間分の撮影予定を残し、心臓マヒで倒れ、1967年4月29日に亡くなった。『殺しのダンディ』は主演のローレンス・ハーヴェイによって完成され、マンの監督名義で公開された。
代表作に、フィルム・ノワールの『税務調査官』T-Men(1947)、『ひどい仕打ち』Raw Deal(1948)、『秘密指令』(『恐怖時代』)、戦闘映画の『最前線』(1957)、アースキン・コールドウェル原作の異色ドラマ『神の小さな土地』(1958)がある。
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参考文献: