死に方を決めれば、誰でも理想的な死に方で死ねる。(呼吸の本 加藤敏郎) 確かにその通りである。問題が二つある。 理想的な死に方がわからない。そもそも死に方が決められない。 そもそも死に方は、病院で死ぬか、自宅で死ぬか、野垂れ死にするかの三択であろう。病院で延命処置をされて生かされるのは御免こうむりたい。自宅で死ぬといってもなかなか簡単に死ねるものではない。一番簡単なのは、野垂れ死にだが、後始末が大変だろう。 理想的な死に方は、ピンピンころり。これもなかなか簡単ではなさそうだ。 ヒンドウー教には、四住期がある。最終目標は「解脱」である。 学生期家住期林住期遊行期 人生の最後を遊行期として、自由な…