江戸の侍・村尾正靖(号は嘉陵、1760-1841)が文政五(1822)年の秋に石神井村へ出かけた時の道筋を歩いてみた話の続き。目白駅から目白通り、新青梅街道を歩き、杉並区井草二丁目(昔の多摩郡下井草村)で旧早稲田通りにぶつかったところから。 peepooblue.hatenablog.com peepooblue.hatenablog.com 旧早稲田通りを北西に向かうと、すぐに新青梅街道と交差するので、歩道橋を渡る。ここから西の新青梅街道はまさに昔はなかった新しい道路である。この交差点の北東側に杉並区立八成(はちなり)小学校がある。八成はこの付近の古い地名で、小学校のほか、バス停の名前などに…