青空が見えているが薄雲が空を覆っている。 図書館から借りてきた、大澤聡『教養主義のリハビリテーション』(2018)を一時間ほどでさらっと読了。本書でいう「教養」は、実質的に書物、それも大学の文系的な知に限定されている。大学の、文系的な学問で生産的であるために、「教養」が必要だというのか? それに、ここでいう「教養」は、なんだか頭に「いっぱい詰まっている」イメージだ。博覧強記。まあ、それが「理想」なのかも知れない。 しかし、わたしは頭は「カラッポである」べきだと思っている。読んだ本も、理想をいえば中身はすべて忘れ去られるべきである、と思うんだがね。実際は、わたしが未熟者ゆえ、なかなかそうはいかな…