世良修蔵(せら・しゅうぞう、1835〜1868)
幕末の長州藩の志士。
周防国大島郡椋野村に庄屋中司八郎右衛門の子として生まれる。初め,長州藩重臣浦靭負の家臣木谷良蔵の養子となり,のち世良氏を継いだ。月性に学び,さらに江戸遊学。資性,豪勇気節あり。奇兵隊に入って書記となり,1865年第二奇兵隊の編成に当たり軍監となる。翌年の幕長戦争では大島口に戦った。1868年3月には奥羽鎮撫総督府下参謀となり,仙台藩に会津藩攻撃を命ずる強硬論を説いた。福島に滞在中,会津藩に対する寛容な処置を請う仙台藩よりの使者が送られたが,これを拒否する。恨みを受け,旅宿で捕らえられて斬殺された。