私(叶 郁州)が創作する理由を列挙してみますね。 (1)まずは、言葉への愛着でしょう。日本語であれ、外国語であれ、言葉への愛着があります。たとえば、「にわか雨」は「驟雨(シュウウ)」とも言い、驟雨のほうが走り抜けるような雨が連想されて、好きですね。言い換えれば、「言葉フェチ」ですね。そういう言葉を積み重ねていけば、おのずと秩序ある世界が出来てきます。 (2)段落を積み上げていくことに快感を感じる。上で述べた「秩序ある世界」の最小単位は「段落」だと私は考えており、その段落を一つずつ完成させ積み上げていくことに快楽を覚えるのです。目の前に新たな世界がすこしずつ開けてくると、愉快になります。これが習…
フーコーの人間観は、大きく分けて2つの側面があります。 1つは、人間は単なる生物学的な存在ではなく、社会や文化によって形成された存在であるという側面です。フーコーは、人間の行動や思考は、自然な本性や理性からではなく、社会や文化によって規定されていると主張します。例えば、狂気は、単に病気ではなく、18世紀以降に社会が狂気を病気として定義したことで、狂気という概念が生まれたのだとフーコーは主張しています。 もう1つは、人間は自由な主体ではなく、権力によって支配されている存在であるという側面です。フーコーは、権力は、単に抑圧や支配ではなく、社会秩序を維持するための仕組みであると主張します。例えば、監…
どうも、河西です。 今回は、数年前から観たかった,中村倫也主演の映画「水曜日」が消えた をYouTubeをレンタルで見ました。 www.youtube.com 見終わった感想としたは、使い捨ての毎日 なんて過ごしたくはない。虚しいだけ です。 でも、多重人格を持つ私としては、この世に、「多重人格」は存在するし、同性婚とかが顕わになってれば、それも尊敬する概念だと思います。 300円のレンタル映画、次、何見ようかな。 では、また。
「相手の気持ちを最優先する日本と道徳を最優先する西洋」とほぼ同じ意見の記事です。 「なぜ外見から内面まで判断してしまうのか」と「ここまで浅い日本人の人間観」で内面重視すべきとの記事を二つ書いたので、あえて、その反対意見の記事も載せておきます。このブログを読むような人は、私同様、内面を重視し、性格(話し方や立ち居振る舞い)を軽視しすぎる失敗をしているように考えるからです。 たとえ事実であっても、正しい意見であっても、言うべきでないことは世の中にいくらでもあります。たとえば、「あんた、デブだね」は事実であっても、思っていても、言うべきでないことは誰もが認めるでしょう。 直接的な表現ばかり使う人は、…