「他力信心」について、少し書きたいと思います。「他力信心を獲たら、さとりの51段目の智慧を頂き金剛心になる」 「高森会長は他力信心の境地に出た、唯一絶対の善知識である」 「他力信心の無い、自力の心でお聖教を読んでも絶対に間違える」 「他力信心である高森会長の法話や本以外は全部自力の間違いである」 このようなストーリーをいまだに親鸞会会員は盲信していることでしょう。私も長年そのように思っていました。 しかしながら浄土真宗をよき知識の元で聞き求めたらならば、このロジックが破綻していることに自ずと気づきます。 このブログを読んだある人が、親鸞会が正しいことを証明すべく議論を希望してきました。しかしな…