伊東豊雄(1941年6月1日 - )は、日本の建築家。一級建築士。 1941年京城(現ソウル)生まれ。1965年東京大学建築学科卒。 菊竹清訓建築事務所勤務を経て1971年独立(事務所名アーバンロボット)。 1979年、事務所名を伊東豊雄建築設計事務所に。 2013年、建築界のノーベル賞とも言われるプリツカー賞を受賞。 代表作
甲辰年十一月十七日。摂氏▲0.7/13.7度。晴。 これほどのヴァイオリン奏者とピアニストの共演で水戸芸術館の主催だけれど市民会館(グロービスホール)での開催。市民会館のこのホールは先日、矢野顕子があつたけどクラシックで生音だとどんなものなのか?といふ関心あつて中央通路の9列目中央の席を押さえた。 モーツァルト: ヴァイオリンソナタ第17番 ハ長調 K.296ベートーヴェン: ヴァイオリンソナタ第7番 ハ短調 作品30の2ドビュッシー: ヴァイオリンソナタ ト短調武満徹: 悲歌フランク: ヴァイオリンソナタ イ長調 このホールはモーツァルトには嫌はれたのかもしれない。天井が高く音がステージから…
得体の知れなさ、正体の捉えようのなさ、と言いたくなる「変化し続ける人・伊東豊雄」である。 ホンモノの思索の人だ。根源まで考える。だから、スタイルや権威ではなく、モノゴトの本質に遡って考え続けることを流儀とし、その土地や施主との話し合いを重視する了見はずっと変わらない。 読み飛ばせない発見があった。「70年代までは、建築を成り立たせる上位意識があった。だが、未来都市をつくろうとメタボリストたちが没頭した万博が、広告代理店に仕切られた単なるエンターテイメントであったことが露出して消失」したと著者の瀧口は言う。文章・絵画・写真・映像といったメディア情報による脳内再生表現に対し、本来、対峙するはずのリ…
朝から冷え込んで、時おり激しい雨風でしたが今日は、袴田巌さんの『主よ、いつまでですか』(北陸学院大学ヘッセル記念図書館からの貸借本)の返却期限日だったのでどうしても出かけなくてはなりませんでした。 「雨にあわれませんでしたか」マスクの図書館員さんが微笑みながら迎えてくれました。 「え~、え~、大丈夫でしたよ」 明後日が返却日になっている新訳版『動物農場』(金原瑞人・訳)がまだ手元にあるのだけれど、せっかく来たついで。館内を一巡して目に留まった3冊を借りました。坂本龍一さんの本は二度目です。 『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(坂本龍一/新潮社/2023.6)『暮らしの図鑑 木のもの』(翔泳社…
遅くなりましたが、先々週の水曜のこと。1971〜1986年のスケッチや図面・模型のほとんとすべてをカナダのCCAに寄贈することになったので、これらを見る機会は、あまりなくなるというので、芝浦工大での展示を見に行きました。おいらが知っている伊東建築というと、2000年代になってから、TOD’S表参道ビル(2004)、MIKIMOTO Ginza2(2005)、信毎メディアガーデン(2018)、水戸市民会館(2022)があります。では、伊東の初期建築というのは、どういうものがあったのか知りたいというのがきっかけでした。この1971〜1986年は、小規模建築や個人宅がメインの仕事で、大きな建築を任さ…
10/28土曜日、快晴。初めて豊洲に行きました。目的は芝浦工業大学豊洲校舎で開催中(とは言っても明日29日まで)の「伊東豊雄の挑戦1971-1986」。新しい大学キャンパスは開かれていますね。この階段花壇の上の広場は子供たちの遊び場になっていました。花もきれいに咲いていました。 建築家伊東豊雄の事務所の業務に密着したNHKのテレビ番組を数年前に観たことがあります。なかなかコンペに勝てない苦悩、所員の模索と提案を、ときにひっくり返すように否定する伊東。迫力のある番組だった。初期代表作が最終的に設計完成するまでのあいだの思考の仮定がわかる。ときに大胆な変更が入っていく仮定が。 それで思い出したのは…
癸卯年六月廿三日。気温摂氏26.1/32.1度。曇(小雨4.5mm)。K先生夫妻来水。早晩に駅近くの路地にある小料理や。K先生と最後にあつたのは2019年に香港騒乱の最中、K先生が実検で来港され外国人記者倶楽部の食堂で会食が最後だつた。K夫人は今晩、ホテルの客室からリモートで勉強会に参加のはずがリモートとはいへ参加者で感染少なからず体調不良者あり勉強会ぢたいお流れで一晩ゆっくりと歓談できることになる。家人も少し遅れてきて狭い小料理やのカウンターの角に居坐り酒はK先生が日本酒お好きなので茨城の地元で武勇、霧筑波、月の井。四人でどれくらゐ飲んだのかしら。K夫人はお酒は好きだが量はあまり飲まなかつた…
癸卯年六月初五。気温摂氏21.1/28.7度。晴。関東は梅雨明けださう。梅雨明太夫(澤瀉屋)逮捕拘束されてゐても梅雨は明けるか。 常総撃破の「ミラクル茨高」準々決勝で明秀日立と接戦 : スポーツ報知 これで茨高が明秀日立に勝つたら大変なことになつてゐたが関西や台湾から優秀な野球君たちを集めた明秀相手に4-5の接戦とは大したもの。 この佐藤君といふ投手あつての茨高にとつての奇跡だが佐藤君には一般入試で大学進学で無理せず大学野球での活躍はあるのかも。茨高の野球部はこれから何うなのか。まさか強豪校にはならないだらうが野球部人気でそれなりの実力チームになつてゆくのかしら。 あれほど伊東豊雄設計の水戸市…
平湯温泉へ行く━其之弍━からの続き tokyosora.hatenablog.com 朝、早めに起きて昨日行けなかった大浴場へ行きました。大浴場と言っても、ここは湯船に浸かるだけの施設です。 なかなか、ワイルドな感じです。遠くの方に車が走っていますが、よく澄まして聞かないとわかりません。 この日はとてもいい天気でした。 朝食。 やはり、高山と言えば朴葉ですね。チェックアウトをギリギリ10:00までにしても、帰りのバスは約3時間後の12:55なので、平湯温泉を散策しました。 滋賀ではないけど、飛び出し坊やを発見。 そして、宿からそう遠くないところに、クマ出没注意の看板が・・・。やはり、気をつけな…
癸卯年五月十五日。半夏生。気温摂氏21.9/28.9度。晴。 水戸市民会館開館。市中心部の再活性化の起爆剤なんだとか。水戸を代表する百貨店の跡地で、アタシにとつては自分が育つた地元も地元。道路をはさんで向かひ側。内部の構造はそれなりに面白くもあるが外観といふか空間性は周囲の高層建築のなかに埋没してしまつた。北側後方にある空間性としては傑作である水戸芸術館(磯崎新)も目の前にこれが出来て困つたもの。伊東豊雄の設計だが晩節を汚してはゐないか。伊東先生の下で働いたこともある或る建築家も「これは失敗作」と嘆かれた。 この新市民会館、設計候補者選定のなかで伊東豊雄案が採用されたのはプロポーザルでの、この…
先月19日、水戸芸術館に行ってきました。 去年亡くなった磯崎新の追悼展です。現代美術ギャラリーという、それほど広くない場所での開催でしたが、どのようにして、この水戸芸術館が出来たのかがよくわかりました。 それで、ついで水戸芸術館のとなりに、水戸市民会館が竣工していました。開館は、再来月の7月2日です。設計は、伊東豊雄と地元水戸の建築家横須賀満夫のJVです。水戸で磯崎新と伊東豊雄の建築が一度に見られるなんで、うれしいです。 さらに、足を伸ばして妹島和世設計の日立駅も見てきました。ほれぼれするぐらい、かっこいいです。日立駅と水戸市民会館は、のちほどじっくりと紹介します★★★★★★★★★★★★★★★…