鎌倉時代後期の天皇。持明院統の祖。諱は熈仁(ひろひと)。父は後深草天皇。 亀山天皇系の皇統継承に不満を抱いた父上皇の働きかけにより、大覚寺統の後宇多天皇より譲位される。 当初は父上皇が院政をしいていたが数年で止まり、以降は親政を行う。 後、子の後伏見天皇を皇太子に立て大覚寺統の反発を買うも譲位し院政を執る。が、大覚寺統の工作により3年足らずで後二条天皇に譲位させられてしまう。しかし後二条天皇は在位7年で崩御。その後は子の花園天皇を即位させ、再び院政をしいたがしばらくすると治天の君の座を後伏見上皇に譲る。