明治四十三年(1910年)夏、病身の夏目漱石は療養のため伊豆は修善寺の菊屋旅館に滞在していたが、この地で更に病状が悪化し、八百グラムの血を吐き人事不省に陥った。これを修善寺の大患と呼ぶ。漱石はかろうじて生死の縁から甦ったが、この大病はその後の人生観や作風に大きく影響を与えたと言われている。
強いて寐返りを右に打とうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続しているとのみ信じていた。その間には一本の髪毛を挟む余地のないまでに、自覚が働いて来たとのみ心得ていた。程経て妻から、そうじゃありません、あの時三十分ばかりは死んで入らしたのですと聞いた折は全く驚いた。