正徳3年3月10日。昼から文左衛門は御作事奉行4人、小路奉行2人、上松奉行2人、斎谷小兵衛と弥次右と長久寺へ出かける。素晴らしい景色を楽しむ。食後、庭の外の仮山(築山)側の腰懸で酒を頂く。その後に後段(供応の後に出る食事)を頂き、日が暮れて帰る。甚左と2人の尼は明け方前に帰る。文左衛門は市川甚左に七宗山の訴訟の原因を聞く。長いことなので略す。多々良次郎右衛門は先年から忠義の者だと聞こえてていた。桧笠は木曽から出荷し、1年でおよそ8、9万ほどずつ出荷していた。上松奉行の証文で外へ出荷していた。七宗山・加淵の訴えはこの願いのことではないと云々。昨9日に上松奉行から七宗山の百姓に留木・年貢は従来通り…