正徳2年11月22日。渡辺八郎右衛門の百姓羽田川村伊兵衛の弟で21になる彦三郎は去年8月笠原の一族から女房を呼んだ。その後、女房とは甚だ不和となり、女房は度々親もとへ帰り、戻らなかったと云々。女房は舅・姑とも仲が悪かった。1日、2日前、笠原の舅文助のところへ夫婦ともに宴によばれ、泊まった。この日の夜中、彦三郎は脇指で女房の股を切り落とし、その上頭を切って殺した。その後舅・姑、女房の16ほどの弟を殺し、家に火を付け、自分もその中で腹を突いて自害しようとしたが、外へ倒れ出て1日、2日生きてから死んだ。家は残らず焼け、馬も焼け死んだ。羽田川から昼夜30人ずつ番をしたと云々。年貢米を焼いたとねだられ、…