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内山永久寺

(一般)
うちやまえいきゅうじ

平安時代の永久年間(1113〜1118年)、鳥羽天皇の勅願で建立され、近世の最盛期には60近い院や坊があったとされる。東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ大和国屈指の大寺院で、江戸時代には900石余りを有し、豪華な伽藍(がらん)から「西の日光」とも称された。明治の神道国教化政策の下、寺院などが破壊された廃仏毀釈で土地や建物が売却され、僧侶も還俗(げんぞく)して廃寺になった。国宝「両部大経感得図(りょうぶだいきょうかんとくず)」(大阪市・藤田美術館所蔵)のほか、仏画「四天王像」(米ボストン美術館所蔵)など貴重な仏像や美術品が散逸し、現在は本堂前にあった池が残る程度になっている。。
鎌倉時代の書家・藤原教家(のりいえ)が1247年に書いた扁額(へんがく)が天理市内の民家で発見された。

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