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北イタリア

(地理)
きたいたりあ

イタリア共和国の北部地域。主にポー川流域の平野部を中心とする地域。
いわゆる「工業の発達した先進地域」であり、「農業主体の遅れた南イタリア」との間に南北格差を抱える。

概略

極端に言ってしまえば、ローマ帝国の崩壊後、イタリア北部にはランゴバルド族やフランクが侵入し、一方イタリア南部にはアラブ人やノルマン人が侵入して分離した文化圏になったあたりで、すでに南北の社会構造が大きく違っていく素地は形成されたとも言える。
中世・近世を通じてイタリア北部には商業を基盤とする多数の都市国家が出現し、南部ではシチリアやナポリに都した王国が次々と支配者を変えながら続いていた。

南北の経済格差が決定的となったのはイタリア統一(リソルジメント)とその後の近代国家建設の過程である。
新生イタリア王国はヨーロッパにおける最後発の国民国家として、先行する諸列強との競争にさらされることとなった。そのためには、(明治期日本と同じく)急速な富国強兵が必要だった。
様々な経済的・社会的理由*1から北部の工業発展が推進される一方で、南部の社会改良は放置された。
結果、「都市と農村」というよくある図式に加えて、さらに分かりやすい南北での巨大な地域格差が目に見える形で出現することとなった。
これは現在に至るイタリアでの巨大な政治的な問題となっている。

関連

北部同盟(レガ・ノルド)

*1:土地支配の形態、ポー川の水運と水力資源、もともとの資本蓄積度、諸外国との交通、広義の民度など

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