このように外敵には結束して、事に当たった町衆だが、町や町組同士でも争うことがあったようだ。時期は違うがやはり同じ日記に、二条室町と押小路三条坊門との間で、何百人もが参加した合戦に近い大喧嘩があり、双方100人ほどの怪我人が出たことが記されている。 そこで上京・下京を囲む総構とは別に、町組ごとに「町の囲い(ちょうのかこい)」があった。この囲いを出入りするには、釘貫門と呼ばれる木戸門を通らなければならない。つまりは総構の中にも、幾つもの土塀と門があった、ということになる。 上杉本「洛中洛外図」より。過去の記事でも紹介した「町の囲い」。上下京内にあったと思われるこの囲いであるが、どこからどこまで囲っ…