【太魯閣事件】 太魯閣事件とは、1876年、花蓮縣三棧溪一帶に住んでいた太魯閣族(Truku)に対して、清が攻撃を仕掛け、発生した軍事衝突をいいます。 この事件は、沈葆楨*1 の「開山撫番」政策によって引き起こされたものです。 「開山撫番」とは、1874年の牡丹事件以降、清朝の台湾対外拡大政策のこと。 具体的には、「開山」政策として、台湾西部と東部を結ぶ道路、北側道路、中側道路、南側道路の開通をめざしたもので、北側道路は、噶瑪蘭廳蘇澳から花蓮奇萊の205km、中側道路は、彰化林圮埔から花蓮璞石閣の265km、南側道路は、屏東射寮から台東卑南までの214kmの道路計画でした。 また、「撫番」とし…