台湾の原住民の一。パングツァハともいい、台湾原住民のうちで最も多くの人口を占める。言語や文化/風習などによって、更に南勢阿美、秀姑巒阿美、海岸阿美、恒春阿美、卑南阿美に分けられる。
阿美―アミは元々は『北』の意で、南方に暮らす別の原住民がそう呼んだことに興ったものという。台湾島の花蓮県〜台東県〜屏東県といった東部地帯に濃密に分布するが、昨今は全土の都市に拡散している。
美男美女の多さには定評があり、例えば日本でも広く知られるビビアン・スーもこの阿美族の血を引く。
現在、台湾の原住民の中で最も人数が多いのが阿美族です。北は花蓮新城から南は屏東恆春一帯に住んでいます。花蓮だけでも約52,000人の阿美族が生活をしています。 阿美族と一言で言っても南勢阿美、秀姑巒阿美、海岸阿美、卑南阿美、恆春阿美と5つの地域に分れており、各々、微妙に文化、風習、習慣が違います。また、部族にはその部族を現す色(シンボルカラー)があるのですが、花蓮は赤、台東は緑とその色も違います。 さて、今回ご紹介する七脚川事件の舞台となったのは、南勢阿美が住んでいた吉安郷です。当時七脚川社(部落)は、南勢阿美最大の部落で、約3500人の阿美族が住んでいました。七脚川社一帯は南勢地区では最も広…
【大港口事件(Cepo’戰役)】 花蓮県豐濱郷の小さな部落、大港口村があります。「大港口」とは、阿美族の「Cepo’」(海への出口)が語源になっています。 この大港口で清朝時代に大きな事件、大港口事件(別名林東涯事件と奇密事件)がありました。今回は事件の歴史についてひも解いてみたいと思います。 1877年(清光緒3年)7月、清兵の林東涯の命令で、納納社(dafdaf)部落の頭目馬耀珥炳(Mayaw’eping)派の青年たちが奇美部落の勇士、柯福欧(Kafo’ok)達と瑞穂で会議を行う事となりました。その際、納納社部落の青年たちは、林東涯を殺害、これをきっかけに、清兵との戦いが始まりました。 で…