三国時代の人物(生没年不詳)。夏侯淵の次男。字(あざな)は仲権。夏侯衡の弟。夏侯称・夏侯威・夏侯栄・夏侯恵・夏侯和の兄。娘は羊祜の妻。夏侯氏(張飛の妻)の従兄弟。『三国志』に伝がある。
父が219年に定軍山の戦いで戦死すると、その報復を誓った。魏(曹魏)に仕えて出世し、蜀方面で功績を挙げて活躍し、高官に上り、若くして列侯された。弟の夏侯威のとりなしで、泰山の名族の羊氏と縁戚関係を結んでいる。
249年、司馬懿一族がクーデーターで曹爽の一派を打倒し、西部方面を守っていた夏侯玄が中央に召還され、仲の悪い郭淮がその後任になることを聞き、危機感を覚え、蜀(蜀漢)に亡命した。置き去りにされた子ら家族は、夏侯淵の功績に免じて死罪を免れ、楽浪郡に流罪となった。
劉禅の妻の張皇后の母は夏侯氏の出身であったことから、夏侯覇を歓待し、車騎将軍に任命した。姜維が北伐したとき、夏侯覇は従軍し、魏(曹魏)の王経を破った。
夏侯覇が死去すると、遠くの国から降ってきたことから、列侯に封じられることになった。
『三国志演義』では、北伐で戦死している。
durrett.hatenadiary.jp 排行(中国の場合) 排行 - Wikipedia 排行(はいこう)は、中華圏における人名の呼び方の一種で、兄弟の長幼の順序に従ってつけられた番号を名前がわりに用いることをいう。字と同様に、諱を直接呼ぶことを避けた通称である。 古代においては長幼の順に「伯(孟)・仲・叔・季・幼・稚」と呼んだ。孔子の字の「仲尼」、孫権の字の「仲謀」は、いずれも次男であることにもとづく。また夏侯淵の子は上から夏侯衡(伯権)・夏侯覇(仲権)・夏侯称(叔権)・夏侯威(季権)・夏侯栄(幼権)・夏侯恵(稚権)・夏侯和(義権)となる。 番号で呼ぶようになったのがいつからであるかは…