1926年7月25日生まれ、父は最高裁判事の奧野健一
1956年 太宰治論 1954年 服部達らと「現代評論」 1958年 吉本隆明らと「現代批評」 1964年 文学は可能か 1972年 文学における原風景 1983年 間の構造
文芸評論家、東京工業大学理学部化学科卒業後東芝に入社し 科学技術者として大河内技術賞、科学技術庁長官奨励賞、特許丁長官賞受賞などを受ける。 著作「素顔の作家たち」や多くの作家の追悼番組でのコメントでは 文学者との交流の広さ、深さを発揮した。
小説を書かなかったのではなく、書けなかったのでもない。小説を書けぬ自分を発見した作家だった。山崎正和のことだ。 戯曲『世阿弥』を引っさげ、第一評論集『劇的なる精神』に収録された諸論を展開しつつ登場した山崎正和は、まだ三十歳前後ながらきわめて特色ある作家だった。劇とはなにか、劇的とはどういうことかと繰返し問い続け、次つぎ戯曲を発表した。小説を書こうとする素振りなど、毛ほども見えなかった。 ドラマ論の先達木下順二への関心はことのほか深く、しばしば木下流の後継者とも目された。じつは表面上の形態が似ているだけで、思想の淵源には相違があると、やがて知られるようになったのだけれども。 世界を A か非A …