小説を書かなかったのではなく、書けなかったのでもない。小説を書けぬ自分を発見した作家だった。山崎正和のことだ。 戯曲『世阿弥』を引っさげ、第一評論集『劇的なる精神』に収録された諸論を展開しつつ登場した山崎正和は、まだ三十歳前後ながらきわめて特色ある作家だった。劇とはなにか、劇的とはどういうことかと繰返し問い続け、次つぎ戯曲を発表した。小説を書こうとする素振りなど、毛ほども見えなかった。 ドラマ論の先達木下順二への関心はことのほか深く、しばしば木下流の後継者とも目された。じつは表面上の形態が似ているだけで、思想の淵源には相違があると、やがて知られるようになったのだけれども。 世界を A か非A …