安藤昌益は1703年生まれ、元禄という年号は1704年までだから、徳川幕府の力が落ちていく時代、貧しい東北地方にあって、その地元で、自前の思想を掲げた人だった。ほぼこの頃には、儒教も仏教も貧しさを救うという観点に立てば、役立たずの思想であることを露呈し、昌益は厳しく批判した。もちろん、儒教も仏教もそう簡単に切り崩せるものではない。昌益の批判も論理的には不十分だったろうが、当然だろう。東北という不利を被っている地域で、適時に、自前の思想家が現れるということに意味が有る。安藤昌益の指導は、皆が地を耕して命の糧を得る、平等な社会を実現するという「万人直耕」において最もよく知られている。 安藤昌益は長…