1871年(明治4年)2月28日、現在の島根県浜田市金城町小国生まれ。文芸評論家、劇作家。
東京専門学校(現在の早稲田大学)で文学を坪内逍遙に、哲学を大西祝に学ぶ。卒業後は、イギリス、ドイツに留学、帰国して早稲田大学の講師となり、美学、文芸史の講義を担当。また、雑誌『早稲田文学』を復刊させ、自然主義文学の推進に力を注いだ。
逍遥との関係から、新劇運動にかかわるようになり、日本でのヨーロッパ近代劇の普及に努めるため、女優松井須磨子と共に芸術座を設立。須磨子による「カチューシャの歌」(トルストイの舞台『復活』劇中歌・中山晋平作曲)のヒットにより、全国各地を巡業した。
1918年(大正7年)死去。抱月の後を追った須磨子の死に伴い、主軸の両人を失った芸術座は解散を余儀なくされた。