1560年〜1615年
戦国武将。黒田家臣。本名後藤基次。 最初は別所氏に仕えていたが、のち、黒田如水親子に仕えて勇猛で知られた。 黒田氏の筑前入封後、1万6千石を領し小隈城主となる。が、黒田長政とはそりが合わなかったため浪人となる。 各大名から誘いを受けたが、長政の妨害によって再士官を果たせなかったとされる。 その後、大坂の陣の際に豊臣氏の招きを受けて大坂に入城。夏の陣の際に道明寺河原の戦いで戦死している。
★★★★☆ あらすじ 豪傑として知られる戦国武将・後藤又兵衛は、地元の有力領主・宇都宮家に対する主君・黒田長政の取り扱いに反発し、家臣らと共に出奔する。62分。 後藤又兵衛 -黒田官兵衛に最も愛された男- (1) 作者:かわのいちろう リイド社 Amazon 感想 戦国武将・後藤又兵衛が、黒田家を出奔するあたりから大阪冬の陣に向かうまでの様子が描かれる。又兵衛を演じる市川右太衛門は、最初は面白い顔の人だなくらいの印象しかなかったが、物語が進むにつれて次第に惹きつけられていく。 旗本退屈男 謎の珊瑚屋敷 市川右太衛門 Amazon 目が大きく、くっきりとした顔立ちの彼は自然と目を引く。時代劇スタ…
やはり猛暑 朝から晴天で、今日も猛暑の予感がする。昨日は遠出をしたが、少し早めに帰って正解だった。もう1,2時間外にいたら熱中症になっていたかもしれない。昔から暑さには強い方なのだが、60歳を超えると自重しなければいけないのだろう。 朝食前、6時頃から散歩に出かける。すでに気温はかなり上がり、青空が広がっている。下の写真はいつもの踏切とは違う場所から見た近鉄電車。土曜の早朝の橿原神宮前行きは、さすがに人が少ない。 早朝の近鉄電車 貯水池の横に白茶の猫。よく見かける奴だ。たぶんこのあたりの家の飼い猫だろう。表情が穏やかで毛並みもいい。水に姿が映っている。 いつもの猫 田んぼのあぜ道にカルガモが立…
石川河川敷公園での「道明寺合戦まつり」終了後は、国の登録有形文化財「玉手橋」から対岸の柏原市に渡り玉手山を登り玉手山公園からあべのハルカスを望みます。 玉手山公園には、1908年開業の西日本で最も古い遊園地、1998年5月31日廃業閉園に成った「玉手山遊園地」が存在した地で、今では柏原市に移管され公園整備されて、大坂夏の陣の折ここに陣を置いた後藤又兵衛の慰霊碑や玉手山古墳群なども存在し結構見所の多い公園なんですが、今回は山上からのあべのハルカスの景観を確かめて帰る事にします。 国の登録有形文化財「玉手橋」を渡り柏原市へ向かいます。 玉手山が見えてきました。 元玉手山遊園地のゲートが残ってます。…
「道明寺合戦 古戦場巡り」玉手山公園で、道明寺合戦・小松山(玉手山)の戦いの折乱戦の中で討死したとされる「後藤又兵衛基次之碑」。 後藤又兵衛基次は、播磨国姫路の神東郡山田村で生を受け黒田孝高に仕えたのち二代目の黒田長政と不仲になり出奔、浪人となり大坂冬の陣際には大坂城に入城、大坂五人衆と言われた武将の一人。 槍の名手と伝えられ戦場での一騎打ちなど数々の逸話でも良く知られた武士でも有ります。 玉手山公園の一角に「後藤又兵衛基次」之碑。 今東光が揮毫した「後藤又兵衛基次」之碑。 後藤又兵衛を介錯し首を持ち去り隠したとされる家臣「吉村武右衛門」之碑。 ランキング参加中神社仏閣・古墳・歴史的建造物めぐ…
藤井寺市で開催された「大坂夏の陣400年祭プレイベント」で、道明寺天満宮門前で地車が展示されてます。 地元民では無いので町名などは存じませんが、有名な大坂夏の陣・道明寺合戦での後藤又兵衛隊と上杉・片倉小十郎隊との道明寺合戦場面の見事な彫刻が施されています。 ランキング参加中神社仏閣・古墳・歴史的建造物めぐり
皆さんこんにちは。鈴藍です。 こちらの記事は、復刻祭の特別くじである極選-幻-でピックしたい武将について個人的主観を書いていくページとなります。 大まかな説明は別のページに書いてあるため、いきなりこのページに飛んでしまって良く分からないという方は下記のページを参考にしてください。 suzuranixa.hatenablog.com 極カードについて① とにかく数が多いので片っ端から書いていきます。 デッキ上回復速度上昇スキル(茶人スキル)関連のスキルについては視認性を上げておきます。 また、敵軍のスキル発動率を低下させたり無効化するスキルにおいて防御側で発動するスキルについては、攻撃側に天香山…
城塞(上中下) 合本版(新潮文庫)【電子書籍】[ 司馬遼太郎 ]価格: 2662 円楽天で詳細を見る 【あらすじ】 関ヶ原の戦いで天下の実権を握った徳川家康。しかし豊臣家は大坂に健在で、亡き太閤秀吉の遺児・秀頼は、東洋一の大要塞、大坂城の中で成長していた。久しぶりに秀頼と対面した家康は、自分にはない若さと市井の人気に危機感を覚え、ついに豊臣家を滅ぼすことを決断する。 難攻不落の城塞を攻略する間者に、旧武田家家臣の小幡勘兵衛が任命される。武芸・軍略を究めるために徳川家を辞して牢人し、全国を流浪しながらも研鑽を重ねた勘兵衛は、あわよくば再び乱世となり一旗揚げる、そんな気持ちも抱いて大坂城に潜り込む…
真田家の智将というと、2度に渡る上田合戦で圧倒的な兵力を徳川軍を退けた父・昌幸であり、大坂の陣で名を馳せた次男・幸村の名が上がるでしょう。その一方で、徳川家の下で真田家を存続させた長男・信之の影は薄いように思えます。2人の息子を徳川と豊臣に分けて仕えさせたことも、どちらが勝利しても真田家を存続させるために、父・昌幸が仕組んだことだと伝えられています。本書はそんな信之像を一変させてしまいます。彼こそが真田家に、大名家としての家系存続と末代まで家名を残す栄誉の両方をもたらすための大計画を立てて、家康との「合戦」に勝利した人物として描かれているのです。 幸村の討ち死にから始まる物語は、彼が残していっ…
大阪夏の陣で徳川家康の首を取る目前まで迫りながら仕損じた真田幸村。その行動に不審を覚えた家康は、織田有楽斎、伊達政宗、後藤又兵衛、南条元忠、毛利勝永など、幸村と何らかの事情があった面々を洗い出し、真相に迫ろうとする。大阪城内で幸村と接触し、幸村の思惑に踊らされたり共闘したり、様々な人間模様が交錯して実に読ませる。 中でも白眉と思えるのは毛利勝永の来し方であろう。幼い頃、浅井家の姫であった茶々の相手を務め、心を通わせた過去があり、その約束ゆえに敢えて大阪城に入るし、幸村との友情もホロリとさせる。 幸村の兄、信之は真田家の存続のため家康の養女を娶り、徳川家に尽くすし、幸村は真田家の名誉のためにそれ…
古本屋で松前治作『勝海舟と島田虎之助』((東京文芸社)を購入。島田虎之介は中津出身、勝海舟の師匠、剣豪という情報はあったが、よくは知らなかったので読んでみた。 この人の名前は時々、聞くし、海舟を描いたテレビではよく登場する。ようやく人物を知った。 1814年(文化11年)4月3日に豊前中津、島田の里に生まれる。1852年(嘉永5年)9月16日に死去。享年38。1841年、勝麟太郎(18歳)が27歳の島田の内弟子となる。 中里介山の大作『大菩薩峠』に島田虎之助が出てくる。天下に比肩する剣士のいなかった机龍之介が、その生涯で一度だけ恐怖と戦慄と温懐を感じた唯一の出会いとして描かれた剣豪として登場す…
《 日光を探索する 2 》 東照宮その2と輪王寺その1 日本一美しい豪華絢爛な「陽明門」を通ります。 いつまで見ていても見飽きないので、「日暮らしの門」とも言われています。 「陽明門」は、このままでは高波動にはならないかもしれません。 そこで、完成した当時、一般庶民ではこの門にすら入れなかった当時の高波動の状態に、画像を再現します。 この画僧は超絶の高波動を再現しています。 ですから――― この「陽明門」をイメージで通過するだけで、身体の体軸は整います。 「膝痛」「肩痛」あるいは「腰痛」でお困りの方は、この「陽明門」の下に立っているとイメージしてみて下さい。 問題となる個所は修正されると思われ…
こんにちは!どこでもGOです! 奈良の又兵衛桜の桜を見に行って来ました。後藤又兵衛にちなんだ枝垂れ桜で、樹齢約300年の大物です。ご存知のように今年は1週間から10日も桜の開花が早かったので、やらかしました!既に散っていた・・・ ガクッ ご紹介しますね。 目 次 1. 又兵衛桜とは 2. 又兵衛桜 3. 歌 又兵衛桜 4. 基本情報 1. 又兵衛桜とは 奈良県宇陀市の宇陀川沿いにある又兵衛桜(またべえざくら)。ここの地名から、本郷の瀧桜とも言います。戦国武将として活躍した後藤又兵衛がこの地へ落ちのび、僧侶となり一生を終えたという伝説からこの名が来ています。 樹齢は300年ともいわれ、幹周約3m…
・ ・ ・ 関連ブログを6つ立ち上げる。プロフィールに情報。 ・ ・ {東山道・美濃国・百姓の次男・栗山正博}・ 徳川家康と豊臣家の戦いは、布教目的のローマ・カトリック教会、イエズス会の修道士会、スペイン・ポルトガルの旧教勢力と交易目的のプロテスタント:オランダ・カルヴァン主義、イギリス国教会の新教勢力による宗教戦争でもあった。 つまり、日本が、政教分離・経教分離のオランダ・プロテスタントの非植民地主義を選ぶのか政経教不分離のカトリック教会・イエズス会・スペインの植民地主義を選ぶのかの選択戦争であった。 そして、徳川家康の勝利が、日本や西洋だけではなく地球全体の宗教・政治・経済そして戦争の将来…
妻と神奈川近代文学館で「小津安二郎」展。2023年は生誕120年、没後60年だ。1903年12月12日ー1963年12月12日。誕生日に死去。 小津安二郎の言葉。 僕の映画がね、まあ、外国人にも、いつか判るよ。(2012年「東京物語」が世界の映画史上で、映画監督による投票で1位、批評家投票で3位) 「日本的なもの」が「一番世界的に通用する」(北大路魯山人「今に諸外国の人間が日本に来ることは、日本の刺身が食いたいためである、と言われるまでに至るであろうことが想像される」(1960年)。 芸に携はる人間は――少なくとも芸だーー何より、自分の個性に、自分の気質に、従順であり度い。そしてその上で最善を…
奈良県の桜の絶景スポット又兵衛桜へ。 又兵衛桜の名前の由来、大阪の陣を戦った後藤又兵衛 ランチは酵素玄米のお店「うたのごはん」と思っていたのだが・・・ 奈良カエデの郷ひららでロコモコ丼をいただく 藤原宮跡で菜の花と桜の情景を撮影。 奈良県の桜の絶景スポット又兵衛桜へ。 さてさて、今日は奈良県の桜の絶景スポットである又兵衛桜へバイクツーリング。今日はすごくバイクが多い。ってか奈良県のどこに行っても交通量がすごい多い。春休みの最終週末だからか、桜の最後の見ごろの週末だからか花見に出かける人が多い印象。藤原宮跡も渋滞だし、明日香も凄い人。でここ宇陀の又兵衛桜も大渋滞だわ。 見てよこのバイクの数。ずら…
奈良県宇陀市 3月29日(水)撮影 毎年見たい観たいと思っていた又兵衛桜を 榛原のヤマセミを撮った後に観に行きました。 満開でたくさんの観光客で賑わっていました。 お天気が良くて枝垂桜の花びらが青空に照らされ輝いていました。 又兵衛桜は、その昔、大坂の夏の陣の頃に活躍したと言う 戦国武将後藤又兵衛の屋敷跡にあったと伝わっています。 それで又兵衛桜と呼ばれ地元の人から親しまれているそうです。 圧倒的な大きさと枝ぶりの見事さ、美しさを見せ咲き誇っていました。 樹齢300年とも言われています。 これまでの地元の人の手入れや保存へ取り組みなど大変だったことと思います。 桃の木もとても綺麗でした。 また…
ランキング参加中バイク 奈良県宇陀市の又兵衛桜が見頃を迎えています 観に行きましょう 何時もながら、素晴らしい! 後藤又兵衛ゆかりの枝垂れ桜です、樹齢は300年 近くに行ってみます 寄付金します~ サクラを観ながら又兵衛桜の近くまで 迫力ありますね! 周りには黄色い水仙も咲いてます 水仙と又兵衛桜 今年も又兵衛桜を観れました
雨の日曜日 日曜日だというのに朝から雨。しっかりとした降りで、夕方までずっと降り続くようだ。というわけで今日はほぼ一日在宅となる。そこで昨日の続きを。 又兵衛桜とは 長谷寺で桜を見て昼過ぎ。雨が降りそうなら帰ろうかと思っていたのだが、なんとか持ちそうなので、少し寄り道というには遠いが大宇陀の方に寄った。お目当ては又兵衛桜。なぜこの名で呼ばれているかというと、戦国武将後藤又兵衛が落ちのびたとされる場所にあるからだ。後藤又兵衛は大阪夏の陣で西軍の将として奮戦した。500年ほど前の人物なので、さすがにその頃から生えているということはないが、樹齢300年といわれるからかなりの古木だ。 みちの駅大宇陀に…
今年のアレは・・・ ええ、もういきなりでしたよ! 犬の散歩から戻った途端、立て続けのクシャミと吹き出す鼻水に瞬殺白旗戦意喪失からの玄関腰砕けヘナヘナ人魚座り状態で喘いでおりました。 こんな日は・・・ 家に籠って撮り溜めビデオの視聴三昧コースやな(笑)。 朝のニュースで日本の調査チームがエジプトのピラミッド内部に未調査の空間を確認!なんてトピックスを報じていましたが、 国内でも常識を覆す驚きの新説や古文書の発見などが相次いでいて、にわか歴史ファン(私の事ですな)には何とも堪りませんな。 撮り溜め録画の中にも本能寺の変を検証する番組があって、首謀者?の光秀についても濡れ衣説や意外な黒幕の陰謀説、更…