徳川幕府8代将軍吉宗が御三家が将軍家との血が疎遠になったことを鑑み、御三家の他に徳川宗家に後嗣なきとき将軍の後継者を提供する役割を負った家系を創設したのが始まり。当主が従三位にのぼり、省の卿の官に任ぜられる例であったから御三卿と呼ばれた。御三家と異なり臣下ではなく将軍の家族との位置づけで、幕府から賄い料10万石が給せられ、家老も旗本が出向で勤めた。屋敷は江戸城の城内にあり、屋敷地の地名から各家名がつけられた。 各家は以下の通り。
*文春文庫(Amazon) 【あらすじ】 徳川御三家の1つ、尾張家の当主継友の弟徳川宗春は、幕府で進めている倹約令に反発して、上の者がお金を使うことで町民たちが潤うと考える。そのため遊び仲間の芸州広島の浅野安芸守吉長や姫路の榊原式部大輔政岑と、芸者を招いて倹約どこ吹く風とばかりに気勢を上げていた。 7代将軍家継がわずか8歳で早世すると徳川宗家の血統は途絶え、尾張、紀州、水戸の御三家から家督を継ぐ必要に迫られる。水戸は候補から外れ、尾張の継友と紀州の徳川吉宗で争われたが、家格が高い尾張を有利とみた大方の予想を裏切り、紀州の吉宗が宗家を継ぎ8代将軍に就任する。次期将軍就任を信じていた尾張の継友は、…