支那劇及び脚本 辻武雄 余は、日本劇には、全くの門外漢である。否 いな 其の實は平生から嫌ひと標榜して居る。( 或は喰はず嫌ひかも知らない。)然しながら、演劇が國民の風俗や、思想感情に及ぼす感化の偉大なことだけは、善く知つて居る。 ところで、余は、明治三十一年の九月、初めて渡淸の折、北京、天津にて、初めて支那劇なるものを見、繼いで上海や蘇州に於いても、五六回これを見た。やがて歸朝し、一時支那劇とは、全く隔絶するに至つたが三十八年の春、再び渡淸してから、今春二月に至るまで、五年間といふものは、上海、蘇州、南京の三地に於いて、斷えずこれを見續け、その度數を云つたら、到底百度詣 まゐり 位ではなかつ…