元禄8年2月4日。曇。文左衛門は召仕市右衛門が暇を乞うので暇を出し、代わりの人を雇う。初めて髪を結う者で、僕の切米(俸禄米)1両2分2朱。この日までは久米分之右衛門のところにいた者であった。夜戌半(午後8時)過ぎ、坤(南西)の方角で火事があり、左衛門は仲間と兵右のところへ行き、帳に記す。しかし、広小路より南であったので、文左衛門は急いで忠兵のところへ走って行く。ようやく忠兵門へ着くと、火が南へと燃え上がるのが見えた。まずは安堵して中へ入ると津金佐右衛門が御勝手にいた。御慶は元気であった。忠兵は愚入の家へ行って人を手配したので愚入の家は燃えなかった。火元は日置村の橋詰、東北角の木引の家から燃え出…