元禄12年7月14日。御家督につき、今日中に月代を剃るよう彦兵から言い渡されてので、文左衛門や仲間は番所で月代を剃る。公が襲封(領地を受け継ぐ)の際、肥田孫左衛門を朝廷に遣わして拝謝の義がある。右兵衛督の号は大樹の命ではあるが、奏上するには及ばないので得(徳)川吉通とのみ申し上げる。朝政の正しさは末の世と言ってもこのようである。廻状がある。去る11日、殿様のところへ上使戸田山城守殿・土屋相模守殿がやって来られた。家督の相続をお言いつけになられたので、両人から上意の内容を殿様に申し上げる。摂津守様(松平義行)・出雲守様(松平義昌)も付き添い、御諚(仰せ)を御請けなられる。上使が退出の後、摂津守様…