天正6年(1578年)、島津(しまづ)と大友(おおとも)がぶつかった! 場所は日向国の高城川原(たかじょうがわら)。現在の宮崎県児湯郡木城町高城の一帯である。両軍ともに数万の兵を動員する大合戦。「高城川の戦い」「高城川原の戦い」「高城合戦」、あるいは「耳川(みみかわ)の戦い」と呼ばれている。 当初は大友方のほうが優勢だった。しかし、結末は島津方の大勝。勝敗を決めたのが、新納院高城(にいろいんたかじょう)を死守したことにあるのだ。 この城をのぼる。 高城川の戦い(耳川の戦い) 7つの空堀を越えて 新納院高城の歴史 城主の山田有信とは 豊臣軍も高城を落とせず (adsbygoogle = wind…