隋の初代皇帝(581年-604年)。諡は文帝。2代皇帝煬帝の父。
581年北周の皇帝から禅譲を受けて皇帝に即位し、587年には後梁を、589年には陳を滅ぼして、西晋の八王の乱以降以来約300年近くにわたり、乱れ分裂し続けてきた中国全土を統一することに成功した。
楊堅は内政にも力を注ぎ。まず、中央官制を三省六部に整え、さらに地方に対しては郡を廃して州・県を設置した。また、官僚の登用においても九品中正法を廃止し、新たに科挙制度を設立したことが特質される(科挙は1912年に中国最後の王朝が滅びるまで続き、また試験による役人登用制度は、近代化に向かう欧米列強に参考にされたほど*1後々まで世界的に影響を残した)。
なお彼自身は、後漢の楊震の末裔を称していたが、しかし、実際には漢族ではなく、北方異民族の普六茹氏の子孫だったようで、皇后も北方異民族系の独孤氏である。
*1:試験登用以前の欧州では各国により微妙に異なるが、官僚は基本的に貴族階級から登用された