最初、日本は清や朝鮮と協調路線を模索する。しかし立て続けに失敗してしまう。とうとう日本は帝国主義、植民地政策へと舵を切る。なぜそのような方針転換になってしまったのか。次の流れで紹介していく。 ・ロシアの地政学に基づく南下政策・ロシアの南下政策に対立していたイギリス・協調路線か、帝国主義の模索・甲午農民戦争・金玉均が暗殺される・協調路線から帝国主義へ・ロシアの三国干渉 ■ロシアの地政学に基づく南下政策ロシアは地理的、経済、軍事的に不凍港を目指して南下政策をとる必要がある。南下するにあたって取れる対応策は2つ。ヨーロッパ方面、東アジア方面である。ヨーロッパ方面では、オスマン帝国との戦争で、クリミア…