甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)
1894年、朝鮮李朝末、東学の信徒を中心に朝鮮南部で起こった農民の反乱。東学党の乱とも呼ばれる。反封建反侵略を掲げた全羅道の農民蜂起に東学幹部全琫準らが支持し、南部一帯を支配する大反乱となった。李朝政府は鎮圧できず、清国に派兵を要請。日本軍も清国に対抗し、天津条約の居留民保護を口実に出兵。農民の提案を基に和解。処理を巡って日中が対立、日清戦争を誘発する結果を招いた。
2019『緑豆の花』(Gyao)ドラマによってやっと50年前に学んだはずの「東学党の乱」や「日清戦争」が歴史としてつかめるような気になりました.1894年=日清戦争とおぼえたことが何の理解にもつながらなかったのがこの歴史大作によって,朝鮮半島の人たちの「日本」に対する拭いえない憤りの端緒に気づかされたのです.***両班(貴族?)たちによって腐敗しきった朝鮮支配層の抑圧と搾取に命を賭して立ち上がらなければならなかった人々がいたこと. 『緑豆の花』 東学党の乱 そのころ,日本の支配層も急激な近代化をはかり,朝鮮半島の植民地支配をねらいます. 『緑豆の花』 農民たちの挙兵 朝鮮の支配層・官軍は農民の…
兵隊の数が足りなくなると、そのあたりの人夫を拉致して形ばかりの軍装をさせ、兎にも角にも体裁の弥縫に腐心するのは、なるほど宗主国様とそっくりだ。 李氏朝鮮のことである。 東学党の乱、またの名を甲午農民戦争が勃発した当初の話だ。朝廷はその保有する戦力中でも最精鋭の聞こえが高い近衛兵を派遣して、事態の収拾を図ろうとした。 (Wikipediaより、東学党の檄文) その数、実に八百人。 大隊規模と考えて、まあ差し支えはないだろう。 祈りにも似た期待の視線が彼らの頭上に注がれた。 ところがいざこの大隊が軍旅に着くとどうであろう。早や翌日から脱走兵が続出し、敵の影も見ていないのに気付けば百余名が消えている…
www.jiji.com 「終戦の日」あるいは「敗戦の日」と呼ばれる8月15日*1、日本では「先の大戦への反省」が語られます。日本政府も、「戦後日本」が「先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してき」たと言います*2 もちろん、「戦後日本」が「先の大戦」すなわちアメリカをはじめとする「連合国」と戦った第二次世界大戦における行いを反省することも必要です。しかし、「戦後日本」が痛切に反省すべきなのは、「先の大戦における行い」だけではありません。 「天皇制国家」日本が犯した「罪」は、アメリカをはじめとする「連合国」と無謀な戦争をして、多くの犠牲を出し、無惨な…
朴成彬(박성빈、パク・ソンビン、ぼく・せいひん、1871年6月6日 - 1938年9月4日)は政治家で大韓帝国末期の武官。両班朴永奎の長男[1]。高霊朴氏[1]。朴正煕の父[1]。金鍾泌、韓丙起のそれぞれの妻(朴栄玉、朴在玉)の祖父。朴槿恵、朴槿令、朴志晩らの祖父[1]でもある。没落両班出身で一時甲午農民戦争に加担することもした。 東学党の乱(とうがくとうのらん) ja.wikipedia.org 父:朴永奎(1840年2月10日 - 1914年2月24日) 母:星山李氏[2] 弟:朴龍彬[3] 弟:朴一彬[3] 妻:白南義(1872年9月22日-1949年8月12日) 子:不明(2歳で早世)…
東学 崔済愚孫秉煕新宗教 天道教の旗 東学(とうがく)は、朝鮮半島において1860年に慶州出身の崔済愚が起こした新宗教。東学を信奉する者を東学教徒、その集団を東学党と呼ぶ。 また、第3代教祖孫秉煕からは、天道教(천도교, Cheondogyo)と呼ばれる。東学の本質は従来の思想である朱子学とも、西洋の新しい思想である西学(天主教)とも異なる朝鮮独自の思想体系を成すことを旨とした。 概要 朝鮮における開化期の思想は、興宣大院君と儒者達による衛正斥邪思想と、両班官僚と中人層の開化思想との対立であった。しかし、このふたつの思想は結局、政府側の対立構造であり、一般民衆に根を下ろした大衆的な運動にはなら…
興宣大院君 1821年1月24日驪興閔氏 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 興宣大院君 宗親八世 大院君・大院王 摂政 団領姿の興宣大院君 続柄 南延君第四子 字号 漢字:時伯諺文:시백発音:シベク 雅号 漢字:海東居士諺文:해동거사発音:ヘドンゴサ 諡号 漢字:献懿諺文:헌의発音:ホンウィ 出生年 1821年1月24日 出生地 李氏朝鮮、漢城府 没死年 1898年2月22日 没死地 大韓帝国、漢城府 配偶者 驪興府大夫人閔氏 子女 完恩君完興君高宗 興宣大院君(こうせんたいいんくん、フンソンテウォングン、흥선대원군、大院王〈たいいんおう、テウォンワン〉、嘉慶25…
東大第1問(下線なし)8世紀。東トルキスタンは唐の支配下にあり、保護されたイラン系ソグド人が西方の宗教や様々な文物を東方にもたらした。西トルキスタンにはアッバース朝が進出し、タラス河畔の戦いで唐を破り、中国からイスラームに製紙法が伝播。トルキスタンに移住したウイグルは、安史の乱で唐の内乱の鎮圧に貢献。9・10世紀。キルギスの侵入で、ウイグルは四散。西ではイラン系のサーマーン朝が自立したが、トルコ系イスラーム王朝のカラハン朝が倒し、東西を併せてイスラーム化を促進。東に成立した西ウイグル王国では仏教文化が繁栄し、ソグド文字をもとにしたウイグル文字も誕生。12世紀には、宋と結んだ金に敗れた遼の一族が…
平家物語 Blu-ray box(特典なし)悠木碧Amazon6月24日の視聴 ・『NHK高校講座 日本史「憲法制定」』 →19世紀後半、大日本帝国憲法の発布。 →不平等条約の改正への、紆余曲折。まあ、野蛮な国家だと思われてたんだろうな、日本。憲法を制定し、運用を可能にしない限り、(イギリス含む欧米諸国が)自国民をそんな野蛮国家で裁かれてなるものか、と思うのも無理はない。◇・『NHK高校講座 日本史「武士の登場」』 →10世紀〜12世紀。平安時代後期。 →律令が自分を守ってくれないなら、自助として、武力を抱えるよな。 →桓武天皇から高望王(たかもちおう)の血筋。その孫、平将門。 →それを鎮圧す…
いったい何度目だよ…とうんざりしますが、また「原爆Tシャツ問題」です。 今回改めて思うところをツイートすると、みなさんから分かりやすいという反応をいただいたので、この連投を元に日本のARMY向けにもう少し丁寧に書いてみようと思います。(長文注意) 今回の出来事(飛ばして大丈夫) 何を謝ったのか/何を謝らなかったのか(本論) 問題の切り分け ナショナリズムの対立を避けた 考えるうえでの立ち位置(ヒントのような個人的な希望) 韓国での反応…原爆の非人道性理解に一助 「国」じゃなくて「人」 加害と被害 植民地35年の重み お勧めの本/ドラマ/映画 (おまけ) 今回の出来事(飛ばして大丈夫) yout…
ヒストリエ(5) (アフタヌーンコミックス)作者:岩明均講談社Amazon5月26日の視聴・『慶次郎縁側日記 第1回「その夜の雪」』 →なんたる救いの無い…。それでも“殺さず”、それでも“生きる”を選ばねばならんのか。 →お父ちゃんのハグは、とっても大事なのだ。◇・『慶次郎縁側日記 第2回「キズ」』 →なんだコイツ。鎌倉屋、「また来る」じゃねーわ。二度と来んな! →奥田瑛二はアレだな、ジョーカーみたいなポジションなんだな。 →晃之助(比留間由哲)と、のちの許嫁(安達祐実、ナレーションも担当)の出会い。ちょっとアホ丸出しな晃之助。 →2022年にも通ずるヒューマンドラマ。 →と、見せかけて、裏に…
2022年の国立大学の入試問題を解答し、次年度の学習のヒントとします。 最終回は一橋大学です。旧商大以来の伝統とOBの業績を重んじ、第一問はヨーロッパ中世~近世の教養問題、第二問は西欧近現代の政治・経済史時々教会建築もの、第三問は東アジアの近代化時々清朝初期、という構成です。 第二問は三年に1回程度高校の学習内容を無視した難問です。(´・ω・`) 解答例は正解ではありません。著作権はぶんぶんにあります。 まず何も見ないで解答した後、教科書(実教出版、帝国書院、東京書籍、山川出版社)でウラを取っています。特に一橋大学については教科書の範囲を超えるのが日常茶飯事なので別の本も見ています。受験生から…
近現代の経済 開港以後、わが国は西欧文物を受け入れて新しい経済政策を展開し、自主的な近代化を模索した。しかし日本や清をはじめ外勢の経済侵略が本格化し、このような努力は大きな成果を収められなかった。 日帝強占期には日帝の経済的侵略によって経済発展が歪められ、わが民族は苦痛を味わうようになった。光復以後日帝の植民支配を抜け出してからは、新しい経済発展の基盤を整えることができた。 (略) 外勢の経済侵略と国民経済の模索 開港と不平等条約 1876年の開港以後、朝鮮は日本をはじめ西洋諸国と国交を結び、通商交易を始めた。そして政府は日本や清に視察団を派遣し、改革を専門に担当する機構を設置して、機械および…
図書新聞2022年5月7日号にて木名瀬高嗣編『鳩沢佐美夫の仕事 第一巻』の書評が掲載されています。アイヌ民族初の近代小説の書き手としてのみならず、アイヌの経験を通して現代の「人間」が被る経験を描いた現代文学として読まれるべきではないか、という感じのことを書いてます。 pic.twitter.com/K9mBE1TBj6— 東條慎生と海を墓地に送る (@inthewall81) 2022年4月29日 鳩沢佐美夫の仕事 (第一巻)作者:鳩沢 佐美夫藤田印刷エクセレントブックスAmazon図書新聞2022年5月7日号にて木名瀬高嗣編『鳩沢佐美夫の仕事』第一巻の書評が掲載されています。アイヌ民族初の近…
列強と帝国主義 列強諸国は資源・市場を求めアフリカ・アジアの各地を植民地にした。こうして世界の広い範囲は列強によって分割されたこのような動きを帝国主義という。 条約改正の実現 日本が列強と肩を並べるために必要だったのは条約改正だった。それにいち早く応じたのはアメリカだったがイギリスなどが反対したため実現はしなかった。その後は日本に欧米の文化を取り入れ(欧化政策)たが失敗。さらにそのあと、イギリスも次第に応じるようになり日清戦争前に陸奥宗光が日英通商航海条約を結び、領事裁判権の撤廃に成功した。他の国でも同様である。 関税自主権の完全な回復は1911年に小村寿太郎がアメリカとの条約に調印し成功した…
琉球処分まで書きました。ここでようやく日清戦争になります。 kyoyamayuko.hatenablog.com 岡本隆司さんの本をまとめていきたいと思います。 日清対立の争点は朝鮮半島*1ーーー朝鮮は属国が独立国か 日清修好条規の第1条相互不可侵条約で清朝が想定してのは朝鮮半島でした。しかし、日本が属国のはずの琉球王国を日本に組み入れたことに衝撃を受け、修好条規では日本を行動を縛ることはできないと痛感したそうです*2。 そこで清朝はアメリカや西欧諸国と朝鮮との間で条約を締結し、朝鮮半島は清朝の属国だと認めさせる戦略をとります。しかし、アメリカは「朝鮮が清朝の属国である」(195)と明記するこ…
第1問 次の文章は、神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)が1158年にイタリア北部のロンカリアで発した勅法「ハビタ」の全文である。この文章を読んで、問いに答えなさい。 皇帝フリードリヒは、諸司教、諸修道院長諸侯、諸裁判官およびわが宮宰達の入念なる助言にもとづき、学問を修めるために旅する学生達、およびとくに神聖なる市民法の教師達に、次の如き慈悲深き恩恵を与える。すなわち、彼等もしくは彼等の使者が、学問を修める場所に安全におもむき、そこに安全に滞在し得るものとする。 朕が思うには、善を行う者達は、朕の称讃と保護を受けるものであって、学識によって世人を啓発し、神と神の下僕なる朕に恭順…