活字その他の文字を用いて表現されたものを読み、及び書くことを中心として行われる精神的な活動、出版活動その他の文章を人に提供するための活動並びに出版物その他のこれらの活動の文化的所産
「文字・活字文化振興法」(平成十七年七月二十九日法律第九十一号)第2条における「文字・活字文化」の定義から。
関連する公益財団法人として、文字・活字文化推進機構がある。
さて、以上の三部をまとめるとどういうことになるだろうか。 ダーントンは自問する。「検閲とは何なのか」(本書261頁)と。しかし、「この問いは正当なものだが、フランス人が『立て方の悪い問い(questions mal posées)』と呼ぶ概念上の落とし穴の一つ」(本書261頁)と、すぐに身をひるがえす。それは、「もし検閲があまりに厳格に定義されてしまうと、検閲は文脈にかかわらずにどこでも同じように作用する自律的現象のように理解されていまいかねない」(本書261頁)からだという。 それがどういうことなのか、私なりに言い換えると、<検閲>をあまり厳格にとらえると、実質的に検閲が行われていても<それ…
もうだいぶ前からだが、妻からくり返し小言を言われている。寝室に散らかっている無数の本を “片付けてくれ”というのである。今秋こそは、と思う。 私の癖だが、面白いと思った本は何度も読み返してしまうので、カバーは外れ、表紙は反り返ってくたくたになる。そのほとんどは文庫版の小説。眠る前の10~20分、眠気を催すまで寝床で読む至福の時間がたまらない。 60代になってはまっているのが藤沢周平の時代小説。昨日からは「霧の果て、神谷玄次郎捕物控」、一昨日までは「三屋清左衛門残日録」、その前は「獄医立花登手控え(全4巻)」だった。いずれも数回以上読み返している。小遣いも限られているし、私のこの読書癖はローコス…
今から30年余り前、私そういちが若者だった1990年頃、活字文化はまだそれなりに元気でした。当時の私は読書好きの1人として、社会・人文系の古典を読むことに大きな意義を感じていました。古書店にも足を運びました。 インターネットはなく、パソコンも普及はまだ。ワープロ専用機で書いた文章を印刷し、仲間との集まりで配ったりしました。 ところが今はどうか? 今どきそんな古典を読むのは専門の研究者やマニアなどの、特殊な関心の人だけではないでしょうか。 また、最近の私は古書店に行くことが減って、古本はおもにアマゾンで買っています。書いた文章を最初に発表するのは、たいていは自分のブログです。 知識・情報のやり取…