仏語原題La Société de consommation 1970年にフランスで刊行されたジャン・ボードリヤールの著書。消費社会論における代表的な著書であり、ボードリヤールの代表的な著作でもある。 大量消費時代における「モノの価値」は、そのものの使用価値、あるいは労働集約としての価値ではなく、記号としての価値であるとされている。
消費社会の神話と構造 普及版
ジャン・ボードリヤールの話の中で、id:EPIPHANY さんに自分のツイート引用してもらった。 epiphany.hatenadiary.com間違えてたな、「ディスクタシオン」ではなく、「ディスタンクシオン」か💧記事も読んだ。そうなんだよね。消費ではなく創造しないといけない。にも関わらず、文化的な闘争による自己の差別化(ディスタンクシオン)、消費活動でマウントを取ろうとする輩が多い。「普通の人でいいのに!」の主人公の田中未日子(みこ)は、村上春樹だのノア・バームバックの映画だのお笑いだ下北だ奥渋だ神保町の古本だインディーズバンドだと、消費によってしか自己実現できない女性だ。特に社会に影響を…
現在(消費社会は)物が溢れ過剰であると言われているが、これは全くの間違いであると、フランスの哲学者で思想家のジャン・ボードリヤールは言っている。 消費社会では物がありすぎるのではなくて、物が無さすぎるのだ。なぜかと言えば、商品が消費者の必要によってではなくて、生産者の事情で生産されるからである。生産者が売りたいと思う物しか、市場に出回らないのである。消費社会とは、物が溢れる社会ではなく、物が足りない社会なのだ。 消費社会は、消費者が消費し続ける仕向ける。消費社会は私たちを浪費ではなく消費へ駆り立てている。消費社会は、私たちに浪費されては困るのだ。なぜなら浪費は満足をもたらしてしまうからだ。 消…
昨年の東洋経済に、哲学者國分功一郎氏のインタビュー記事が掲載されていました。SNS上の言論空間につての議論が中心ですが、だんなが興味深く読んだ部分を引用します。 メジャーな価値観に基づく正論によって批判されうる意見が、どこまでも排除される。その傾向が以前よりも強まった。(中略)外食産業や夜の街がコロナ禍で窮地に追いやられたこととも関係するように思う。それらの業態は確かに「不要不急」だったかもしれない。しかしそこには、余計だからこそ生まれる豊かさや人を救う力があった。多様性を受け止めていたそれらは、コロナ禍で真っ先に切り捨てられた。 不要不急でないものとは何か。余計とは何か。國分氏は著書「暇と退…