かつてパスカルは自分が開拓した確率をキリスト教信仰の擁護のために、半ば冗談半ば真面目に、神の存在を信じることの期待値を論じたことがある。 なにしろ、神の存在は理性的な人からすれば、不確実なことである。その不確実を超えて、信念とするための方便と言えなくもない。 ja.wikipedia.org これはキリスト教のケース以外にも拡張できないだろうか? コルモゴロフの公理を用いることで、こうした反論への対応にもなっているであろう。 ja.wikipedia.org 彼の公理系では、無限個の事象の存在確率を論じることができる。「測度」を確率論に持ち込んだおかであります。 普通に考えるとゼロがそれでも存…