平安時代中期の歌人。三十六歌仙の一人。
元慶元(877)年生、承平三(933)年没。堤中納言と号する。
藤原冬嗣の曾孫、右中将藤原利基の子。延長五(927)年に権中納言従三位、同八(930)年に兼右衛門督。号は、家が賀茂川堤にあったため。娘の桑子は醍醐天皇の更衣となり、章明親王を産んいる。また、孫の藤原為時は歌人として名高いが、その娘は紫式部であり文名はまして高い。
従兄弟の右大臣藤原定方とともに当時の歌壇の中心にあり、紀貫之・凡河内躬恒らのパトロン的存在でもあり、紀貫之の撰んだ『新撰和歌』も醍醐天皇の勅命を伝達したのは兼輔。
『古今和歌集』以下の勅撰和歌集に約五十六首入集。家集は『兼輔集』。