最初の勅撰和歌集。八代集の第一。二〇巻。
延喜五年(九〇五)の醍醐天皇の命により、紀貫之(きのつらゆき)・紀友則(きのとものり)・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)が撰し、同一三年ころ成立。六歌仙・撰者らの歌約一一〇〇首を収め、仮名序・真名序が添えられている。 なお、紀貫之が書き下ろした古今和歌集仮名序は、日本の文学と仮名の定位に莫大なる影響を与えた。
歌風は、雄健でおおらかな万葉集に比べ、優美・繊細で理知的。古今集。
河原の大臣亡せたまひてのちに、いたりて、塩釜といひしところのさまの荒れにたるを見てよめる きみまさで けぶりたえにし しほがまの うらさびしくも みえわたるかな 君まさで 煙絶えにし 塩釜の うらさびしくも 見えわたるかな 河原の大臣が亡くなってのちにやってきて、塩釜という場所が荒れてしまっているのを見て詠んだ歌 あなたさまがいらっしゃらなくなって、塩を焼く煙を絶えてしまった塩釜が、うら寂しく見えていますよ。 この歌は、古今和歌集(巻第十六「哀傷歌」 第852番)に入集しています。 「河原の大臣」は第52代嵯峨天皇の皇子で左大臣の源融(みなもと の とおる)のこと。その邸宅の庭に、奥州の塩釜を…
主亡せたる家に桜花を見てよめる いろもかも むかしのこさに にほへども うゑけむひとの かげぞこひしき 色も香も むかしの濃さに にほへども 植ゑけむ人の 影ぞ恋しき 主人が亡くなった家の庭に咲く桜花を見て詠んだ歌 色も香りも昔と変わらない濃さで咲き匂っているけれども、今は亡き、それを植えた人の姿が恋しい。 この歌は、古今和歌集(巻第十六「哀傷歌」 第851番)に入集していますが、そちらの詞書には、「あるじ身まかりにける人の家の、梅の花を見てよめる」とあり、梅の花を詠んだ歌とされています。私の中では、桜は花の美しさが、梅は匂い立つ香りがより多く詠まれるイメージがありますが、この歌はその両方を詠…
山寺に行く道にてよめる あさつゆの おくてのやまだ かりそめに うきよのなかを おもひぬるかな 朝露の おくての山田 かりそめに 憂き世の中を 思ひぬるかな 山寺に行く道で詠んだ歌 朝露の置いた山田の晩稲を刈り始める時分であるが、自分はこの憂い多い世の中をかりそめのものと思うようになったよ。 初二句が「刈り初め」を導く序詞、その「刈り初め」が「かりそめ」との掛詞になっていますね。 この歌は、古今和歌集(巻第十六「哀傷歌」 第842番)に入集しており、そちらの詞書には「思ひにはべりける年の秋、山寺へまかりける道にてよめる」とあります。「思ひ」はここでは喪の意で、友則の喪とも貫之の母の喪とも言われ…
紀友則亡せたるときによめる あすしらぬ いのちなれども くれぬまの けふはひとこそ あはれなりけれ 明日知らぬ 命なれども 暮れぬまの 今日は人こそ あはれなりけれ 紀友則が亡くなったときに詠んだ歌 明日をも知れぬ私の命であるけれども、今日が暮れぬ間のひととき、亡くなった人のことをあわれに思うのであるよ。 貫之と友則は従兄弟同士で、古今和歌集の選者4名のうちの2名ですね。この歌は古今和歌集(巻第十六「哀傷歌」 第838番)、拾遺和歌集(巻第二十「哀傷」 第1317番)に入集います。選者である友則の死に際して詠まれた歌が入集していることで、友則が古今和歌集の完成を待たずに没したことがわかります。…
あひ知れる人の亡せたるによめる ゆめとこそ いふべかりけれ よのなかは うつつあるものと おもひけるかな 夢とこそ いふべかりけれ 世の中は うつつあるものと 思ひけるかな 互いに知っている人が亡くなったので詠んだ歌 この世ははかない夢であるとこそ言うべきであったのだ。あのひとと共に生きたこの世の中には、確かな現実があると思っていたけれども。 現実と思っていた世の中は、親しい知人を亡くしてみると、実は儚い夢であったのだと実感されたという詠歌。悲しい歌ですね。 この歌は、古今和歌集(巻第十六「哀傷歌」 第834番)、拾遺和歌集(巻第二十「哀傷」 第1318番)に入集しています。 本日から、貫之集…
人の国へ下るに、旅にてよめる いとによる ものならなくに わかれぢの こころぼそくも おもほゆるかな 糸による ものならなくに 別れ路の 心細くも 思ほゆるかな 人が地方へ下るに際して、旅の道中に詠んだ歌 糸に縒ることができるわけでもないのに、別れて旅路を行くのは、まるで糸のように心細く思われることであるよ。 この歌は、古今和歌集(巻第九「羇旅歌」 第415番)、拾遺和歌集(巻第六「別」 第330番)に入集しています。 古今集のページでもご紹介しましたが、この歌に関して吉田兼好は徒然草第十四段で 貫之が、「絲による物ならなくに」といへるは、古今集の中の歌屑とかや言ひ傳へたれど、今の世の人の詠み…
ひとはいさ われはむかしの わすれねば ものへとききて あはれどそおもふ 人はいさ われはむかしの 忘れねば ものへと聞きて あはれとぞ思ふ 他の人はいざ知らず、私は昔のことを忘れないので、あなたさまが遠くへ行くと聞いて、寂しく思います。 同じ詞書(734)による三首目の歌。「ひとはいさ」と聞けば、あまりにも有名な歌が思い出されますが、あちらは「人」と「花」との対比、こちらは「他の人」と「自分」の対比ですね。 ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににほひける人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける (古今集 0042、貫之集 790)
♫ 青い月夜の浜辺には 親をさがして鳴く鳥が・・・・ 月夜の国へ消えてゆく 銀の翼の浜千鳥・・・♪ (『浜千鳥』唱歌 作詞:鹿島鳴秋 作曲:弘田龍太郎) ある大学の午後の研究室で、国文学者F先生が鼻歌をうたいながら、本の整理をしておられた。 F「♪ ぁぉぃ~つきよの~ フフフフゥフフウンン~・・・」 私「はは・・・ごきげんですねぇ・・・先生」 F「お、のりも君。いえね、今日の講義で浜千鳥の話しをしてたもんだから、 思わず口についちゃってね」 私「え?・・・とり・・の・・はなし・・ですか???」 F「はは・・・鳥のはなしっていうか和歌ですけどね。 浜千鳥っていう種類の鳥は、動物学上は存在しないん…
雪の降りけるを見てよめる 雪降れば木毎に 花ぞ咲きにける いづれを梅と わきて折らまし 紀友則 (古今和歌集 巻第六 冬歌 337) 【古今和歌集(片桐洋一著、笠間文庫)の訳】 雪が降ると、どの木もこの木も、木毎に花が咲いたように見える。 どの木を春の最初に咲くあの梅だと思って折ったらよいのだろうか。 【意訳】 題詞:これより旅立たれる(太宰府に左遷される)菅原道真公のために涙に暮れる人々を見て詠まれた歌作者:紀友則 菅原道真公の左遷が決まり、御親しい方々が涙にくれている。 貴人たちが酒を酌み交わす折には、決まって道真公の左遷に至る経緯や事情が語られ、噂の種は尽きることがない。 帝は、今度は誰…
EURUSD L. +103.7pips. (57.9+112.2+102.2+142.5)/4 題しらず 龍田河錦 織りかく神無月 時雨の雨を たてぬきにして 詠人不知 (古今和歌集 巻第六 冬歌 314) tagiri.hatenablog.com Track all markets on TradingView { "colorTheme": "dark", "isTransparent": false, "width": "540", "height": "450", "locale": "en", "importanceFilter": "0,1", "countryFilter":…