延慶3年(1310年)〜建武2年8月2日(1335年8月20日) 日本の鎌倉時代末期から建武の新政にかけての公家。父は西園寺実衡。 建武(1335年)6月に北条泰家と共に後醍醐天皇暗殺や北条氏残党による幕府再挙を図って挙兵しようと計画を企んだが、事前に計画が露見して殺害された。ただし、北条泰家は追手の追跡から逃れている。
すみません。気力がなくて、逃げ若感想が一日遅れました。 やはり助けに来ましたね、楠木殿! 尊氏を迎えに来た理由が料理が冷めると妻が怒り、家庭内の立場維持に、、、というのがお茶目ですね\(^o^)/ 一方で、尊氏の動向をわざと聞こえるように若に話して、暗殺をけしかけたのも楠木殿のようで、、油断がなりませんな。 そして、それを察して憤る尊氏側近の高師直・師泰兄弟もなかなかの強者です。 師直はうどん打ちの名手というのも萌えポイント高いですけどねwww 一方、後醍醐帝暗殺を企む西園寺公宗の館に来たのは帝でなく、討伐軍、、、、弟の密告により計画は露見してしまったようです(史実) ここで急に討伐軍に出てき…
図らずもらしくない、この時代の大物が登場しました\(^o^)/ さて、後醍醐帝殺害の西園寺公宗と叔父家泰家の謀略、、、流石に逃げ若等一派もドン引き、、、皇族殺害は流石に千年先までも汚名を追ってしまう大罪なのは、田舎から来た皆も分かってるようです、、、(実際に帝殺害したのは飛鳥時代の蘇我馬子くらい?あと源義経か、、、後者は英雄だから大丈夫かもなw 持明院統と大覚寺統が争っている中だし大義などいくらでも。。。ブツブツ) あ、、失礼。尚、この計画の失敗は頼重もその未来を見ていて、その時に泰家を連れ出して、京から逃げることを予め命じています(公宗がどうなるかは、、、お察しください、、南無) 尚、こ…
ゴゴゴゴゴゴゴってアウトな気がwww 今週は道誉優勝の回! コナンの犯人ばりに顔に黒がかかってますw(頭巾取って坊主姿だとまさにそれ! ) 清原某は相変わらず腰振りながらビクンビクンしてますww「お元気」は意味深な気がします。 さて、魅摩の父である道誉殿は、朝廷の女官と男女の仲(随分ストレートだなw、胸元完全に事後だしww)となり朝廷の蔵で貴道情報入手! まさに婆娑羅!破戒僧!! それにしても結構なおっさんになってる年頃と思いますが、女官を落とす何かがあったのでしょうか、、、怪僧の例に漏れず立派なモノをお持ちとか、、、 一方で、道誉殿も娘魅摩に対してはスリスリし合う親バカのようですねw(お互い…
逃げ若も遂に50回です。 そして、舞台は大都会京都!(当時は平安京まだといってたのか・・・) 中央にとても広い路があり(朱雀大路)、町屋は栄え、大道芸者が火を吐き・巫女達が舞う! ん??? 確かに平安京の朱雀大路は都を開いたときは82mの幅(御堂筋の約2倍)があったようだが、、、維持するのが大変なため、鎌倉期には廃れて脇とかが畑になっていたとか、、、1ページの図は唐の長安の最盛期を模したレベルで、平安京にここまで栄えた時期はなかったのか史実かもしれませんwww(遷都当時から財政難でしたし) さて、京で出迎えてくれるのは大納言(大臣に次ぐ偉い人)、西園寺公宗です! ん??妙に顎尖ってるなww某ジ…
わし高時の弟・北条泰家についてじゃ。足利尊氏には直義、楠木正成には正季、新田義貞には脇屋義助というできる弟がいたように、わしにも泰家というキレ者の弟がいたんじゃよ。「逃げ上手の若君」では、何かと顔に出やすい、おでこに文字が出ている変なキャラになっておるけどな。 北条泰家(「逃げ上手の若君」)