南北朝時代の武将。河内の悪党とされる。 1331年(元弘1)後醍醐天皇に応じて幕府へ挙兵。 篭城戦で大軍の幕府軍を翻弄。幕府の権威を失墜させるのに成功し足利高氏(後の尊氏)や新田義貞らの謀叛への遠因となる。
戦後建武政権下で河内国司と守護を兼任。和泉守護にもなった。 のち、後醍醐天皇の南朝に反抗し九州から東上する足利尊氏と戦う。 多勢に無勢であったが、天皇の命により出陣。奮戦むなしく湊川の戦いで戦死。
江戸時代より講談の主人公となる。 大楠公(だいなんこう) 1294〜1336。
2025年5月2日葛井寺に行ってきました。 近鉄阿倍野橋から準急に乗って2駅、藤井寺駅で降ります。 昔、近鉄バッファローズがフランチャイズにしていたとこですね。 どうも周りは古墳っぽいです。 歩いて数分で葛井寺に着きます。 ん? お寺は葛井寺、駅は藤井寺駅なんですね。 詳しい説明はこちらをどうぞ。 葛井寺は行基さんが、(またしても行基さん(笑))聖武天皇の勅願で創建したんですって。 今は藤の名所としても有名です。が…… ありゃ、藤の季節はもう過ぎたんですかね。 藤まつりは終わってしまったそうです(´・ω・`) ピンボケの藤。 紫の藤が白くなってしまいました。 聖武天皇寄付の石灯篭? お参りを果…
どうも、南河内編最後は大阪の秘境、千早赤阪村に行ってきました。 ここも関東からの旅行だとほぼここだけ行って次の日帰る、みたいなスケジュールになりそうでなかなか行くモチベが上がりませんでした。 "ただ"、今は大阪の人間ぶってますのでのんびり観光出来るので大変ありがたい環境です。本当に。後は南河内旅行の出発地富田林も歴史ある街なので徒歩で巡ってきました。
「鬼切丸伝」(5巻) 「鬼切丸伝」楠桂 漫画家・楠桂の「鬼切丸伝」は、鬼を斬ることができる唯一の刀「鬼切丸」を持つ主人公が、歴史のさまざまな時代に潜む鬼を探して退治する物語。 同じ作者の作品「鬼切丸」の外伝的な作品だ。 基本的には1~3話でひとつのエピソードが構成される。 織田信長、源義経ら武将のほか、世阿弥、小野小町ら文化人も含めて歴史上の人物が物語に絡み、興味深い。 この作品の世界では、人間は深い恨みや悲しみ、あるいは愛情や執念がもとで、人間を喰らう鬼になる。 鬼には普通の武器は通じず、鬼を傷つけられるのは、別の鬼の攻撃か、鬼切丸だけ。 つまり、この作品では、歴史のさまざまな場面で人間が抱…
どうも、ついに大楠公ゆかりの湊川神社と源平合戦一ノ谷の戦い古戦場に訪問。 2箇所とも、神戸近郊外でも特に前から行ってみたかった場所です。
2月23日は天皇誕生日。天皇に関係する歴史上の人物楠木正成について簡単な英語説明と一緒に学んでいきます。 1.きっかけ・情報源 今日の写真:楠木正成騎馬像 2.学んだこと ①「楠木正成」を簡単な英文3文で説明すると? ②日本語訳は? ③英語の学び ④その他楠木正成関連情報 3.コメントと参考英語動画 4.全国通訳案内士試験問題 5.ブログ内リンク(トップページ含む) 1.きっかけ・情報源 今年は、手元にある写真や本からも日本を英語と一緒に学んでいきます。 今回の写真は、楠木正成騎馬像。 皇居外苑にあります。 今日は、楠木正成を英語で学びます。 今日の写真:楠木正成騎馬像 ↓皇居外苑にある楠木正…
烏帽子形城跡碑 「気ままにぶらっと城跡へ」の第30回目は、大阪府河内長野市の烏帽子形(えぼしがた)城の紹介です。 10月18日(2024年)に再訪してきました。 烏帽子形城は、南北朝時代に千早城の戦いで有名な楠木正成(くすのき まさしげ)が築城した楠木七城のひとつです。 標高182mの烏帽子形山の頂上に南北朝時代から戦国時代に築かれた山城で、国の指定史跡となっています。 上赤坂城の支城とも伝えられていますが、そこは定かではありません。 文献に名前が現れるのは、室町時代から安土桃山時代だそうです。 現在の河内長野駅から高野街道を南に向かって歩き、通称「別久坂(べっくさか)」、「ビック坂」と呼ばれ…
まだ除夜の鐘には、すこし間がある。 とまれ、ことしも大晦日《おおつごもり》まで無事に暮れた。 だが、あしたからの来る年は。 洛中の耳も、大極殿《だいごくでん》のたたずまいも、 やがての鐘を、偉大な予言者の声にでも触《ふ》れるように、 霜白々と、待ち冴えている。 洛内四十八ヵ所の篝屋《かがりや》の火も、 つねより明々と辻を照らし、淡い夜靄《よもや》をこめた巽《たつみ》の空には、 羅生門の甍《いらか》が、夢のように浮いて見えた。 少納言のホームページ 源氏物語&古典 少納言の部屋🪷も ぜひご覧ください🌟https://syounagon.jimdosite.com 🪷聴く古典文学 少納言チャンネル…
今回の「全国神社お参り旅」では、神戸市中央区の湊川神社を参拝いたします。 JR神戸駅から徒歩3分というアクセスで、近くには新開地という繁華街がある湊川神社。歴史ファンなら湊川の名を聞いて、即座に楠木正成公を思い浮かべるでしょう。正成公が足利軍との激闘の末、戦死した湊川の戦いの地でもあります。 御祭神はもちろん楠木正成公で、大楠公として祀られています。正成公は知略に優れた武人として後醍醐天皇に忠節を尽くしたというだけでなく、智・仁・勇の三徳と誠忠節義の精神を後世に伝えた偉人でもあります。 神社の創建は明治元年でしたが、江戸時代には水戸黄門でおなじみの徳川光圀が大楠公の墓所を建てたそうです。光圀自…
私本太平記(七)吉川英治吉川英治歴史時代文庫691990年4月11日 第1刷発行1990年9月13日 第3刷発行 (六)の続き。 megureca.hatenablog.com 新田義貞の軍に追われて、九州まで逃れた足利軍。後醍醐帝のために戦っていたはずが、気が付けば後醍醐帝に攻められることに。でも、持明院統を味方につけたことで、皇族を否定してるわけではないという意思表示の尊氏。さぁ、どうなる?! 目次 風花帖(つづき) 筑紫帖 湊川帖 本の裏の説明には、”一夜にして、人間の評価が変わるのが乱世の慣いである。尊氏が”筑紫隠れ”の朝、新田義貞は、凱旋将軍として、堂上の歓呼をあびていた。左近衛ノ中…
私本太平記(四)吉川英治吉川英治歴史時代文庫651990年3月11日 第1刷発行2012年2月3日 第28刷発行 (三)の続き。 megureca.hatenablog.com 裏の説明には、”元弘三年は、また正慶二年でもあった。敵味方によって年号が違うのも異常なら、後醍醐帝が隠岐に配流という現実も、尋常の世とはいえない。眇(びょう)たる小島は風濤激化、俄然、政争の争点となった。不死鳥の如き楠木正成は、またも天嶮の千早城に拠って、五万の軍勢を金縛りに悩まし続けている。一方、去就を注目される足利高氏は、一族四千騎馬を率いて、不気味な西上を開始する。”とある。 (三)では、後醍醐帝が隠岐に流されて…