南北朝時代の武将。河内の悪党とされる。 1331年(元弘1)後醍醐天皇に応じて幕府へ挙兵。 篭城戦で大軍の幕府軍を翻弄。幕府の権威を失墜させるのに成功し足利高氏(後の尊氏)や新田義貞らの謀叛への遠因となる。
戦後建武政権下で河内国司と守護を兼任。和泉守護にもなった。 のち、後醍醐天皇の南朝に反抗し九州から東上する足利尊氏と戦う。 多勢に無勢であったが、天皇の命により出陣。奮戦むなしく湊川の戦いで戦死。
江戸時代より講談の主人公となる。 大楠公(だいなんこう) 1294〜1336。
空を仰ぎ見る あいにくの雨降りだったけど 勇ましく 英雄にふさわしい 威風堂々とした姿 恰好良かった 超有名芸能人にでも 会ったかのような感じで……(^_^.) 銅像の周りを何周もして 写真を撮ってみた 後醍醐天皇に仕えて、鎌倉幕府打倒に貢献した武将である楠木正成 その末路は、湊川の戦で かつては共に戦った足利尊氏の軍に敗れ 自害して生涯を終えた 先人達の偉大な功績の数々によって 今、私たち日本人が存在できていること 様々な問題や危機状態にある中でも 平穏に暮らすことができている 有難いことだし感謝を忘れてはいけない そういった意味では 最近の日本人はひ弱になってしまった気がする 自分の命に代…
こんばんわー おっさんの由緒正しい休日の楽しみ方、「司馬遼太郎をゆく」です。笑 今回は滋賀県は蒲生郡日野町の綿向神社を訪れました(^^) 1980年当時、司馬先生は正月を京都で過ごすのが恒例になっていたようで、『街道をゆく』の「近江の人」の項に 京都に宿をとって、近江に出かける。 中毒のようだった。 と書かれています。 とある亥年の正月に、にわかに近江の蒲生郡が見たくなった、ということで、綿向神社を訪れる場面があります。 (adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({}); 私は突然耳が聴こえなくなってしまったので・・もはや神頼み・・というところ…
もう20年くらい前、皇居前広場を散歩していると、立派な武士の銅像が目に入りました。誰かと思って見てみたら、楠木正成だったので、なんとも言えない違和感に襲われました。現天皇は北朝の子孫なのに、南朝に味方した楠木正成が、現在の皇居前広場に唯一の武士の銅像として立っているのです。私が違和感を持ったのは矛盾そのものよりも、この矛盾に多くの日本人が疑問を持っていないことにありました。 私が楠木正成について感じる最大の疑問です。楠木正成は忠君、つまり天皇への忠誠心を第一とした武士にどうしてなるのでしょうか。楠木正成は現天皇家を否定しようとした人物です。実際、死後200年くらいは天皇家の敵、朝敵とされていま…
楠木正成と聞いて、南北朝時代の武将と正しく答えられる日本人は現在、半数くらいではないでしょうか。歴史上の人物であることは分かったとしても、いつの時代の人物かはよく分からない人も珍しくないはずです。 南北朝時代は、源平合戦、戦国時代と同じく、日本各地で大小の合戦が行われた時代ですが、その三つの中で注目度は最も低いでしょう。小説や映像ドラマなど各種フィクションで取り扱われる量でいっても、源平合戦は戦国時代の10分の1程度で、南北朝時代は源平合戦の10分の1程度ではないでしょうか。 私も楠木正成についてよく知るようになったのは20代も半ばになって、太平記の解説本などを読んでからです。そこでまず驚いた…
今週は祝日があるので、ジャンプは土曜発売であることを忘れていました(汗 Webで定期購読しているのですが、日曜朝に更新に気づく。。。 というわけで感想もそれだけ遅れました、、、 さて、京からの逃げ道を探す中で出会った卑屈ぽい男は、まさかの楠木正成! そして大胆にも若はそのお屋敷に招かれますが、、、 いきなり台所で握り飯つまみ食い!? そして、怒る奥様、、帝に覚えめでたき臣の割に地味だなwww 元々正成も出自不明と言われるので、建武新政までは質素な暮らしをしていたのが窺われます。 そして、手合わせ。 若の得意の逃げの一撃を正成がどう防いだかというと、、、 まさかのおにぎり! 刀の一撃をおにぎりで…
司馬遼太郎の「余話として」を、またも紹介する。 今日より正成出づ という町風俗について。 これについては、10年ばかり前、84歳で亡くなられた菅楯彦画伯からきいた。 まだ江戸期のにおいをのこしていた明治10年代から20年代の大阪の下町でのことである。 「そういう貼り紙が、町々に出ます」 といわれたから、私ははじめおどろいた。町々に楠木正成が出るのですか、と聞くと。 「 へい」 と、 品よくうなずかれる 。 菅楯彦というひとは、落款は「浪速御民」というのを用いられている。いかにも婉で古めかしく、古武士のような律儀さを保ちながら生涯大阪の町絵師として過ごされた。 (略) 「町内に長屋々々がごわりま…
図らずもらしくない、この時代の大物が登場しました\(^o^)/ さて、後醍醐帝殺害の西園寺公宗と叔父家泰家の謀略、、、流石に逃げ若等一派もドン引き、、、皇族殺害は流石に千年先までも汚名を追ってしまう大罪なのは、田舎から来た皆も分かってるようです、、、(実際に帝殺害したのは飛鳥時代の蘇我馬子くらい?あと源義経か、、、後者は英雄だから大丈夫かもなw 持明院統と大覚寺統が争っている中だし大義などいくらでも。。。ブツブツ) あ、、失礼。尚、この計画の失敗は頼重もその未来を見ていて、その時に泰家を連れ出して、京から逃げることを予め命じています(公宗がどうなるかは、、、お察しください、、南無) 尚、こ…
・亀田俊和氏の勤務先への抗議などは、絶対にやめて下さい。宜しくお願い致します。 ・初めて当エントリーを読まれる方は、亀田俊和 - Wikipediaの他、以下の「呉座勇一事件(呉座騒動)」に関する記事などの、ご一読をお勧め致します。 「匿名で悪口スクショが続々と…」呉座勇一氏“中傷投稿”問題、渦中の北村紗衣氏が語る顛末 | 文春オンライン 自分を責める気持ちが湧いてきて…呉座勇一氏“中傷投稿”問題、北村紗衣氏が語る「二次加害の重み」 | 文春オンライン 呉座勇一「炎上」事件で考える、歴史家が歴史修正主義者になってしまうということ | ハーバー・ビジネス・オンライン 知識人「言論男社会」の深すぎ…
2021年11月19日(金)日本で初めて毘沙門天が安置された修験道の霊場として知られる神峯山寺。 紅葉の名所だけあって、この日は観光客が多かった。 真っ赤な紅葉。日差しを透かして見ると、透明感が増してきれい。 迫力ある仁王像。 狛犬の獅子。 豊かなボリュームで、引き締まった顔立ち。 天台宗のお寺なのに狛犬があるところなど、神仏混淆の名残りがのこっている。 神峯山寺の本尊は、毘沙門天、兜跋毘沙門天、双身毘沙門天の3体あるが、いずれも秘仏。 兜跋毘沙門天だけ秋の大祭で開帳されるとのこと。 この兜跋毘沙門天像は、商売繁盛の神として大坂商人から、福徳千勝の神として楠木正成や松永久秀などの武将から信仰を…
武将・楠木正成 鎌倉時代末の動乱期を駆け抜けた武将❗️ 豪族の家に生まれた正成(生年月日は不明)は、12歳の時に初陣に勝利し16歳で兵法書を学び取るなど若くして才能を発揮しました 正成が天下に名を轟かせたのは37歳の時 後醍醐天皇に忠義を誓い失政が続く鎌倉幕府の打倒を目指したものの天皇はとらわれ島に流されてしまいます窮地に立たされた正成が打開策としてとったのが河内の国・千早城での籠城戦でした。幕府軍を相手に奮闘しその忠義を貫く心に各地の武士が奮い立ち参戦ついに鎌倉幕府を滅亡へと追い込んだのです❣️ しかし、戦いの報酬が目当てだった武士も多く後醍醐天皇に不満を持つものも…これらをまとめ上げたのが…
高知県内の高知市から東部の海岸地域では 端午の節句に男の子の逞しく健やかな成長を願って、 鯉のぼりや幟とともに、巨大な祝い旗「フラフ」が掲げられます。 男児誕生の祝いとして、 親戚から家紋や名前を入れた「フラフ」が贈られ、 近所の人々が手伝って柱を立て、 節句にはおきゃくをして皆で祝いの酒を飲むのが慣わしでした。 幟に比べて揚げ降ろしが容易なことから、 春先に繁忙を極める農家にも広がっていきました。 「フラフ」は「旗」を意味する オランダ語の「Vlag(フラハ)」が訛ったものであるとか、 英語の「Flag(フラッグ)」が訛ったものであるとか言われています。 「大漁旗」から着想したものと言われて…
佐賀縣護国神社の次に向かったのは、近くにある龍造寺八幡宮⛩ どちらの神社も、私の小学校校区内にあるという、まさに地元の神社です。龍造寺八幡宮のお隣の小学校に通っていたもので、もう本当に懐かしいです。 小学生の時は、隣に神社があるというのが当たり前で、そういえばちゃんとお参りしたこともありませんでした。大人になって、改めて神社をちゃんと訪れ参拝すると、初めて知る魅力がいっぱいで、ここってこんなに良い神社さんだったんだと再認識した次第です(笑)。 ↑重厚な石鳥居。この鳥居は肥前鳥居と呼ばれ(初めて聞いた👀)、慶長9年(1604年)の刻銘があります。 ↑鳥居をくぐった先の境内の雰囲気が、なんだか良い…
彼が教職に就いたD小学校は、M市の北の町はずれにあって、運動場の後ろの方には例の桑畑が波打って居た。彼は日々、教室の窓から晴れやかな田園の景色を望み、遠く、紫色に霞んで居るA山の山の襞に見惚れながら、伸び伸びしとした心持ちで生徒達を教えて居た。(中略) 性来子供が好きで、二十年近くも彼等の面倒を見て来た貝島は、いろいろの性癖を持つた少年の一人々々に興味を覚えて、誰彼の区別なく、平等に親切に世話を焼いた。場合に依れば随分厳しい体罰を与えたり、大声で叱り飛ばしたりする事もあったが、長い間の経験で児童の心理を呑み込んで居る為めに、生徒たちにも、教員仲間や父兄の方面にも、彼の評判は悪くはなかった。正直…
野崎観音を後にし、向った先は北條神社。 東高野街道のスタート地点は石清水八幡宮。ゴールは高野山。 100キロは優に超えるであろう参詣道を、2キロ程先にある北條神社へ向かって走ります。(近っ!(笑)) そうは言っても、この辺りは坂道だらけ。 ヒーヒー言いながら、飯盛山の麓に神社らしきものが見えてきました。 【北條神社】 手水舎のお水は残念ながら使える状態ではありませんでした。 御祭神は品陀別命、別名応神天皇と天満宮でお祀りされている菅原道真公。 御祭神からすると、八幡神社もしくは天満宮となりそうですが北條神社。 北條神社のある一帯は北条地区。 なので北條神社なのでしょう。 チョイと厳めしい感じの…
陰暦四月十八日。気温摂氏11.8/24.2度。久々の快晴。 一昨日あやま座で映画〈牛久〉を見たついでに瓜連郵便局に寄りポスト型ハガキに風景インを押してもらひ自分宛に投函。それが今日届いた。風景印の意匠は常陸国二宮の静神社*1と常福寺(瓜連城跡)の八重桜それに古徳沼の白鳥。それにしても、これを押した局員さんは風景印の左縁がぎりぎり欠けず収まつたものゝかなりドキッとしただろう。もう少し右に寄せて良いのに切手にかかる部分を中心からsymmetricにしたかったのかしら。 那珂郡瓜連町は南北朝(現在は統合され那珂市)の時代に後醍醐天皇方で楠木正成の一族である楠木正家が瓜連城を築いたところ。久慈川の流れ…
ご無沙汰しております!! 手前味噌ではございますが、青森・函館に新婚旅行に行って参りましたので、その時の旅路を辿りながら記事を書いてみたいと思います! 本記事では、最初に行った町である青森市について書いていこうと思います。まずは、青森市の歴史から始めますので、旅行記から読まれたい方は、次回の記事へとお進みください! 1.古代の青森市 ①三内丸山遺跡 青森市の歴史は縄文時代に遡ります。有名な三内丸山遺跡は、国の特別指定史跡、また2021年には「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界遺産に指定されました。三内丸山遺跡は、縄文時代中期(約5900年前〜4200年前)に営まれた集落跡です。詳細は、5回…
楠木正成像 どの時代にも戦(いくさ)というものは存在していました。少人数による小競り合いのようなものから、関ケ原の合戦や大坂の陣のように何十万人が動員される戦もあります。いわば命を懸けた戦いなので、どんな卑怯な手を使ってでも勝てばいいんだ、と考えがちです。確かにそうした考えを持つ武将もいましたが、とりわけ平安時代末期以降の武士の間には戦のルール、つまり作法が存在していました。 みなさんは「一騎打ち」という言葉を耳にしたことがあるでしょう。1対1で戦うのですが、「騎」という漢字が使われているように馬が関係しています。平安時代以降、日本各地に源姓、平姓、藤姓などに代表される大小の武士団が台頭してい…
というわけで、今週の感想です。 ■ウィッチウォッチ 面白かったです。 なるほど、手紙にまつわるちょっとしたどんでん返しは単純に上手いな、と思いました。 しかし篠原先生のラブコメはなんだか赤裸々ですなぁ。 まぁ、変にヤキモキする展開よりよっぽど良いんですけど。 リア充感がたまに辛い。 ■ワンピース ついに決着! やっぱりルフィが見開きで敵をぶっ倒すシーンは爽快ですね。 カイドウに「お前が一体どんな世界を作れる!!?麦わらァ〜!!!」と問われ 「友達(ダチ)が腹一杯メシを食える世界!!」と返すルフィ。 久々に彼の思想がわかったシーンになります。 千空のように「俺はただ科学の力で皆を救うだけ、その後…
高島一岐代 九段(1936年プロ入り) 攻撃的な棋風、またその技術の高さから「日本一の攻め」と称されました。写真左が大山康晴で右が高島一岐代(かずきよ)。高島氏は菊水矢倉の創案者であり、角換わりや相掛かりから菊水矢倉に組むのが特徴です。"菊水"という名前の由来は鎌倉時代の武将 楠木正成(くすのき まさしげ)の家紋 "菊水" にあります。(下図) 高島氏の棋譜をいくつか紹介します。 棋譜集 ・角交換4筋位取り型(好局) ・角換わり派生_対棒銀_銀冠組み替え ・角換わり派生_55歩54銀型_失敗 ・相掛かり派生_46銀攻め ・相掛かり派生_46角 ・相掛かり派生_銀冠組み替え ・矢倉派生_対雀刺し…
2022年5月5日今年のGWはお天気にも恵まれ、人出が多くて、久しぶりに連休らしい連休でしたね。 最終日は、石清水八幡宮へ行ってきました~! ケーブルカー石清水八幡宮本殿のある男山山頂へは、石清水八幡宮駅から出ているケーブルカーで行くことができます。 この日は午後だけの半日旅行だったのですが、ケーブルに乗ると旅行気分満点!😊 山頂までの参道には見どころが多いので、登山時だけケーブルを使い、下山時は徒歩にしました。参道の道順が分かりやすいように、ここでは麓から山頂までの道のりをご紹介します。 一の鳥居一の鳥居の扁額は、平安時代の名筆家・藤原行成の筆蹟を江戸期の松花堂照乗が書写したもの。鳥居の奥に…
ども! ライフコーチのけんいちです! 『まだ見ぬ世界と自分に出会えるブログ』へようこそ。 このブログではライフコーチの観点から心が楽になる考え方をシェアしたり、オススメの本や映画の紹介をしたりしています。 このブログを通して知らなかったコトやモノに出会え、新たな世界が開けるかも?! 僕は歴史が好きで良く調べたり本を読んだりしています。 歴史は繰り返す 歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです! 日本史の偉人から学べる教訓を週1ペースで更新して勝手にシリーズ化しています(笑) シリーズ150人目は、室町時代の臨済宗大徳寺派の僧、詩人で「一休さん」とい…
坂道を上った後のご褒美。 下り坂。 あっという間に平地にある小楠木公御墓へ到着。 後ろを振り返ると正面に見える飯盛山の麓に四条畷神社。 四条畷神社の参道のスタート地点にある小楠公御墓。 この場に立った瞬間、目の前に広がる木々の樹勢に否応なしに高まる興奮。 こんなにも立派な木を見せられたら、もう声も出ません。 周りを囲む木もこの樹勢。 根元はもちろん元気。 それでも中の楠木と比べると、もう比較する事すら無用なこの佇まい。 ここからは様々な角度からの木との対話。 と言えば聞こえが良いですが、私の病気が発生(笑) ぐるりと一周して、よく見て見ると根元に石がありました。 石(岩)と木のセットは私が勝手…
5月9日(月) 気温がぐっと下がり、肌寒い一日 行動制限のない連休明け 気持ちを切り替え仕事に 今週は雨の日多い 週後半は強雨や大雨のおそれ 外国人観光客 少人数ツアーは日本入国可能に 今月にも試験的実施へ 中国政府が「18歳未満が22時以降にライブ配信を見ること」を禁止へ 米大統領夫人、ウクライナを電撃訪問 朝6時 朝の準備 40分 みんなでいつもの散歩 8時40分 久恵と古典教室、歴史博物館へ 10時 古典教室、奥の細道の続き、白河の関まで 1時半 昼寝、私はブログ書き 2時過ぎ 活動再開 4時 久恵にモノレール駅まで送ってもらい、詩吟教室へ 4時半 久恵、フルート教室 5時 詩吟教室、7…