日高本線跡 自分も含め親族の生業を改めて見ると、教職と技能系公務員の割合が多い家系です。 父方の祖父も国鉄マンとして車両整備に携わっていました。戦時中は技師として満州へ単身渡航、一家での入植計画もあったそうです。幼かった父にとって残留孤児問題は他人事でありません。 帰国した祖父が苗穂機関区(札幌)に勤務していたS20年7月、艦載機による丘珠空襲があり、父は官舎からそれを見ていたところ、祖母に首根っこを掴まれ防空壕へ避難したそうです。当時の苗穂周辺は玉葱畑が広がり、丘珠方面まで見渡せたとのこと。 最近まで微かに昔の面影を残していた苗穂駅も再開発が進み、近代的な街並みに生まれ変わりました。 戦後、…