日本書紀は孝徳朝の皇太子は中大兄皇子といいつつ、斉明紀では何の説明もなく中大兄皇子を差し置いて、斉明天皇が重祚している。 祭祀の皇極と執政の孝徳 乙巳の変に際し、皇極天皇は孝徳天皇に譲位したとされるが、孝徳天皇は執政権を得ただけで、皇極天皇から祭祀を引き継いではいない。 皇極天皇は祭祀王としての天皇位を手放していない。 というか、天皇位を手放すときは、死んで、後継者に殯をさせて位を移し、陵に葬られる必要がある。 孝徳天皇は律令国家という全く新しい国家の建設を目指していたのであって、祭祀旧俗には興味がなかったとみられる。乙巳の変で大極殿から逃げ切った皇極天皇を追うことはしなかった。 祭政分離 6…