天正6年(1578年)から天正15年(1587年)にかけて、九州の情勢は大きく動く。その中での島津義弘(しまづよしひろ)の戦いぶりをたどる。 九州では島津・大友(おおとも)・龍造寺(りゅうぞうじ)の3つの勢力がしのぎを削る。島津氏はこの争いを制し、九州全土に勢力を広げていくことになる。だが、天下人の豊臣秀吉が九州の争いに介入。大軍を送り込んでくる……。 なお、日付については旧暦で記す。また、名乗りは時期によって「島津忠平(ただひら)」「島津義珍(よしまさ)」「島津義弘」と変わっていく。 島津氏の三州統一まで 高城川の戦い(耳川の戦い) 肥後攻略 佐敷の戦い 水俣城攻め 高瀬へ出兵 沖田畷の戦い…